日本と中国の友好を願って活動する日本中国友好協会玄界灘(宗像・北粕屋)支部

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湖南省紀行<下>
 廠窖事件の地で献花。 負の遺産も強く胸に!
                                           大薄利信
ところで、「賀龍将軍」は紅軍第2軍の司令官で、勇猛で庶民的で兵士たちに愛された伝説的な将軍である。
有名なアメリカの新聞記者、アグネス・スメドレーによれば、賀龍は湖南省の貧しい農家の生まれで文字は読むことはできたが、書くことはできない、「地方軍閥」「匪賊」などと言われもした。
40代の将軍に初めて会った時の印象を、「民話か何かに出て来る口髭のある蒙古人か、中央アジアの版画のようだ」と言っている。そして「馬が好きだった」とも。
賀龍公園の銅像は正しくその通りである。この大国立公園内にその名を付けられたということは、やはり中国人の英雄ということだろう。
因みに今回当初計画段階で見学予定地に上っていたもう一人の将軍、彭徳懐は全く違うタイプの人で、30代の頃「革命と結婚した鉄の正義の人」と言われたが、後年、悲劇の人となる。

旅の3日目はやはり張家界で、「十里画廊」をトロッコで見学、後森里公園を散策し楽しんだ。

4日目は雨の中を廠窖へ。途中長時間のバスの中。今回、7名の参加を頂いた詩吟の会の方々の吟詠「洞庭湖」「桃花源記」の簡単な説明、漢詩の紹介、それに廠窖事件の予備説明があった。現地記念館ではわざわざ2人の生存者を呼んで91歳という方の生々しい説明が1時間以上あった。我々は自国の負の遺産を忘れる訳にはいかないだろう。会館を出る時、私は会館の若い衛士と「日中永遠不再戦」と言って堅く握手した。

5日目は毛沢東故居と銅像広場へ。近くの劉少奇故居モ見学。2つの差は歴然。
ただ、毛沢東の銅像広場で私がバスで紹介した毛沢東の「沁園春雪」の石碑を見つけて喜んだ。(この詞は40年前から自宅の玄関に入った正面に大きなパネルにして飾ってある)。
この日の午前中は中国4大書院の一つ岳麓書院をけんがくしたが、予定の馬王堆漢墓の見学ができなかったのは残念。
 旅行の最後は上海に戻り、「中共一大会址記念館」という所を見学後、帰国。
全体を通して楽しい旅であった。

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湖南省紀行<上>
  武陵源の奇岩に驚愕、賀龍将軍像に興奮!
                                            大薄 利信
11月10日から5泊6日の少し贅沢な旅であった。
参加者17名(平均年齢76歳、最年長86歳、最年少69歳)老人の旅である。
メインは張家界(武陵源)の観光である。
太古から沈殿した石英砂岩層が地殻変動で隆起し長い年月の間に風雨に侵食されてできたもの。
今では福岡市くらいの広さの張家界の7割くらいに、超高層ビルのように高さ数百メートルの奇岩が3000以上も林立する奇岩の森である。
ここは最近1984年に発見されたという全く新しい観光地で、現代中国でも最も人気のある所らしい。
年間何千万人という観光地とか。実際、福岡から上海への機上で私の隣席の長崎から上海へ帰国中という60代の上品な紳士が「えぇ!張家界ですか、いいところに行きますねえ、実は私も行きたい、行きたいと思いながらまだ行ってないんですよ」ときれいな日本語で話していた。
張家界を最もよく説明してくれるのはNHK・BSの紹介ビデオである。(4回ほど放映)

我々の旅の第1日目夜。張家界の豪華ホテルの隣の劇場で「湘西歌舞団」の歌舞、小劇、サーカスの観劇である(少数民族中心)。大変楽しかったが、入場料6000円はかなり高く、日本並み?
 二日目、いよいよ武陵源の現地に入る。実際に見た現地はできるだけ自然を壊さないように俗化を避け、遊歩道はほとんど石段だが、よく整備されており、ゴミなど見えない。ただ入場料は高いし、入場には両指の指紋まで採られる。公園管理もかなり厳しいようだ。
私の感想は、武陵源は仙人の住む世界、山水画の世界、いやそれ以上かも。
 その日の午後、「賀龍公園」でのこと。岩佐団長に「これやはりあの十大元帥の賀龍のことですよ」と興奮して話し、賀龍の像と馬に見とれ、前から後からと盛んに写真を撮っていたら…もともと、殿(しんがり)役の小生が気が付くと、周りにグループの人は誰もいなくなっている。その後、私の思い込みと間違った判断の連続で、迷子となる…。観光の予定まで狂わせる大変な迷惑をかけることになってしまった。心から皆さんにお詫びがしたい。迷子になって中国語の聴く取り能力が全くないことをいやというほど思い知った。だが、接触した中国人はみな親切だった。

驚き!
 魯迅を守った“内山完造(1885~1959)の講演を聞いた”とは!!
                                       岩佐 英樹
今回、最高齢でご参加下さった倉本愛子さん、86歳。2本の杖を使って、快活な足取り。
私が「杖を使っておられますが、随分足がお速いですね」と話しかけたら「そりゃ、4本足ですから」と何と諧謔味のあるお答え。
その倉本さんが、私が日中友好協会員と知り「福岡通産局(南薬院にあった)に勤務していた1950年代、職場が開いた講演会で内山完造さんの話を聞いた」と私に語ってくれました。
内山完造と言えば、戦前の上海で内山書店を経営する傍ら、蒋介石や日本軍に追われる中国の文豪・魯迅をかくまい、戦後は日中友好協会理事長として、日中友好・国交回復を訴え、全国を2000回以上もオルグして回った日中友好運動では伝説的人物です。   
内山完造を直接、目にし、話を聞いた方にお会いできるとは。私は何だかとても得した、幸せな気分になりました。
倉本さんありがとうございました。
今年の初夢・こんな夢でありたい
                  副支部長 川辺愛敏

近年ますます混迷を続ける国際情勢。一昨年より去年、去年より今年と悪化し続けています。
来年は更に拍車がかかることを心配しています。自分と違う考えを受け入れるという寛容さ、相互理解といった人間の智恵は一体どこに行こうとしているのでしょうか?そう言わざるを得ない今日この頃です。
自国さえよければ良いというアメリカ・ファースト主義のトランプ大統領、限りなく核開発を続ける北朝鮮の金正恩総書記、右傾化が進むヨーロッパ諸国、そしてクリミア半島を一方的に併合したロシアのプーチン大統領。この情勢を変えるには我々は何をすれば良いのでしょうか。

 向う三軒両隣ということばがありますが、国家間でも隣国とは親しく付き合いたいものです。相手とはよく知りあい、友情をはぐくみ、信頼関係を築くことが肝要です。アジアで圧倒的な存在感がある隣国の中国と仲良くしないでどうしますか。友好と平和を大切に文化交流を願う「日中友好協会」の活動こそ、悪化しつつある今の国際情勢を変えるには絶対に必要な事ではないでしょうか。アジアの平和を願う友好団体は他にもあります。例えば、日韓交流会、日本ベトナム友好協会ect。今年は他の友好団体とも協力しあいアジアの平和活動をもっと前進させることができたらなあと思います。それこそ私の今年の初夢です。
瀋陽から大連までは中国語で“高鉄”と呼ばれる「高速鉄道」すなはち、日本でいう「新幹線」に乗って移動、約2時間。
出発前、正面から瀋陽駅の建物を見学。植民地時代、東京駅を模して造ったらしい。
赤レンガつくりの西洋風の駅舎は支配国・日本の威容を当時の中国人に見せつけるに十分だったろう。
現在は左右に駅舎が付属・拡大されているが、美的感覚もなかなかで今も十分現役だ。
【瀋陽】「撫順戦犯管理所」は日中史では極めて重要な施設である。中国侵略時、中国で極めて重要な戦争犯罪行為をした日本人(おもに将校)を多数収容したところ。しかし、彼らの多くが心を入れ替え罪を認めて「鬼から人間に」変わったところでもある。死刑を免れないような重罪人も誰一人として処刑されることはなかった。帰国後、「中帰連」を結成し、日中友好運動に尽くした人も少なくなかった。現在では、建物も古く、維持にかかる費用の大変さがしのばれた。
「平頂山惨案館」は20年前とは様変わりして、立派になっていた。現場に立てば、言葉も出ない。1932年、平頂山事件。抗日ゲリラが撫順郊外の平頂山村を通過・逃走したというだけで、貧しくも静かに暮らしている村人約3000人を1か所に追い立てて、老人も女も子どもも全員、皆殺しにした日本軍。死人に口なしだが、自分が被害者だったら、その身内だったら、こんな蛮行、許せるワケがない。仮に今の中国人が日本人に“過去のことだよ”と言っても、被害民族の悲しい許し難い心の襞を読み取らないなら、ただのお人よし日本人だ。その言葉の奥に、「過去の歴史を教訓にして」「事実をしっかり学んで」との強い思いがあることを理解せねばなるまい。

瀋陽にある「瀋陽故宮博物院」は満州族王・ヌルハチが建てた王宮である。屋根瓦も緑を使い草原を疾駆した民族を連想させる。ここを拠点に中国漢民族地域に進出して、やがて「清王朝」をつくることになった。
張作霖・張学良父子が政務を取った「張氏帥府博物院」は20世紀の歴史を語るに外せない場所である。日本軍に爆殺された張作霖の最期の場所であり、その後わずか3年余だが日本の満洲進出に必死に対抗した張学良の夢の跡である。

駐福岡中国総領事館招待の若者を中心にした訪中団(15名)随員として、7月6日~12日、北京・瀋陽・大連を訪ねた。

【北京】10年ぶりの北京訪問だが、街が随分と美しくなった印象を受けた。かつては、ごみが散乱したり、ごみたまりがあちこちに見えたが、今はない。
市内バスの座席も色とりどり。各所で建設ラッシュ、ビルが立ち並び、それもみな高い。
 長城は八達嶺から登った。相変わらずの人の多さと急峻さに閉口した。ここに連れて来られ、工事に携わったいにしえ人の苦しみはいかばかりであったろうか。
魯迅記念館では、魯迅を援助した鎌田誠一(糸島出身の青年)の足跡を訪ねた。閉館時間が中国的“おーまん”さで、短時間の見学になったが、直接資料は見つからなかったものの、若干の関係図書を入手できたのはよかった。
盧溝橋と拡充された抗日記念館は七・七行事と重なり、人でいっぱい。国民党政府軍や台湾同胞の抗日の展示が印象的だった。

夜は中日友好協会との交流会。政治分野の対立を凌駕する民間交流をいっそう活発化して行こうと両協会代表(松山盛利団長―袁敏道秘書長)は堅い握手をした。
残念だったのは、交通渋滞や連絡の不行き届きで、世界遺産の「故宮博物院」や革命後人民の奉仕活動によって建築された「人民大会堂」を見学できなかったこと。また、京劇鑑賞や風雷劇団訪問も叶わなかった。それにかわって、北京の胡同(ふうとん)を輪タクで回り、四合院を訪問し、北京人の生活の一端に触れることができた。
謹んで新春の
お慶びを申し上げます

支部長 西村尚志

「みんなちがって,みんないい」
これは,日本国憲法の人権観そのものではないか・・・と今頃気がつきました。
 その切っ掛けは,昨年末,福津市のサンクスで行われた玄界灘支部の忘年会です。
参加した全員が自己紹介と称して好きに喋ったのですが,その話に引き込まれました。
最近趣味のカメラを再開された方,山芋堀りの面白さを訴えた方,その成果物だけをねだった方,昨年の中国旅行で中国人青年に親切にされてホッこりしたと教えてくれた方,17もの団体に所属し多忙を訴えた方,映画「望郷の鐘」について語った方,戦争は絶対にいかんと力強く訴えた方,会員を増やそうと呼びかけた某役員,参加された原﨑智仁福津市長に陳情された方,はてはサンクスをもっと利用しようと訴えた方,話が長いと途中で止められた方・・・。
「日本人も中国人もみんなちがって・・・面白い」
皆様と一緒に玄界灘支部を盛り上げていきたいと思います。
  本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。


~中国人青年も参加します。水餃子も焼餃子も~

日時  2月18日(日)10時~12時30分

会場  ふくとぴあ(調理実習室もりもりキッチン)

参加費  500円で、腹いっぱい食べましょう

連絡先  近在の支部会員または支部事務所(0940-42-6025)

※ 中国人青年も参加する春節を祝う餃子造り。(彼らは、日本語もできますが)中国語会話も習いながら楽しく日中交流をしましょう。みなさん、多数お誘い合わせのうえ、ご参加下さい。
階段何度も昇り降り\(^o^)/
息がハアハア。足痛く。


ここからは、Facebookに参加していないと、ひとみの写真や動画を見れないことがわかりました。
で、動画は、ユーチューブにアップしました。
武陵源①
武陵源②
息がハアハア

11月30日追記
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