日本と中国の友好を願って活動する日本中国友好協会玄界灘(宗像・北粕屋)支部

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日中友好協会恒例の好評「暦」1200円が出来ました。今年の表紙は古い街蘇州の航空写真。中国全土の自然と人が登場しています。
四川省地震支援も兼ねて多くの人に購入して欲しいと思っています。
希望者は支部事務所52-1246か
石津宏介携帯09084092254にお電話下さい。

一年前から準備してきた北京風雷京劇団福岡公演も成功裏に終了できた。1000人余が観劇。玄界灘支部からも関係者60人余が観賞。さながら親戚の集まりの場にした人たちもいた。
公演前の特別「化粧見学」を喜んだ人も少なくなかった。多くの公演でトリとなっている演目が「孫悟空」らしいが、団長自ら演じる「エテ公=孫悟空」の多彩な技を多くの人が堪能できた。
吉塚の成蹊学園の中国人留学生や職員で、舞台裏を手伝いしたり、公演後の交流会で花を添える役割を果たした人もいた。
前日の劇団員との昼食会の乾杯の音頭を玄界灘支部が担当。後の大宰府天満宮、戒壇院の日中不戦の碑見学にも参加した。
それにしても何より福岡支部の地道な頑張りに拍手である。
仙台から都城に至る北京風雷京劇団の全国公演で、福岡公演は11月3日に当っていた。このため公演時間及びその前後の準備と後片付けの仕事があって、憲法記念日に因んだ「9条の会」などの諸集会への参加が出来なかった人もいる。やむをえない事情だが、これを一つの禍根と意識する人もいる。


教室報告 

玄海漢詩教室第三水曜日。
11月は19日。講師の古賀さんとしては初めての教室。人口に膾炙した漢詩に解説を加え、生徒とも感想を交換しながら詠み進めます。

中国近現代史講座
 
10月は「ラストエンペラー溥儀(後半)」でした。今回はビデオデッキやプロジェクターも搬入できました。講師である岩佐英樹さんが長年蓄積していた「溥儀」関係ビデオでも堪能しました。日本の策略にはまっていく溥儀。哀れな「漢奸」であったことを最期の最期に嫌った最後の妻の遺言。参加者の内、幼かった日の記憶「天城山心中の愛親覚羅叡生」が、日本人妻との政略結婚を選んだ溥儀の弟・溥傑の娘であったことを思い出す人もいた。
11月講座は28日第4金曜日。「尖閣諸島の今昔」です。

囲碁教室10月に参加していただいた人。ありがとうございます。
初心者に対する丁寧な指導碁を喜んでいただけたかと思います。
次回11月27日第4土曜日10時~12時です。福岡支部会員からお借りして碁盤なども増やします。若い人を含めた方々の参加をお待ちします。

中国映画を語る会11月6日(第2土曜日)午前10時~12時、『覇王別姫』に続く陳凱歌監督、レスリーチャン(張国栄)主演『花の影』を論じ合いました。
12月は13日、1月は10日、共に第2土曜日午前10時~12時で、語る内容は、『ラストエンペラー』です。中国近現代史講座で学んだことと映像の内容とを比較して語らい合うことにもなるはずです。

<10月26日の出来事>
日中友好協会玄界灘支部が依拠している宗像・福津、あるいは津屋崎を紹介宣伝する二つの行事があった。
<午前中>
第19回九州実業団女子駅伝大会支援ボランティア活動に玄界灘支部としても3人申し込んでいた。支給された揃いの帽子とシャツを着、黄色の旗を指揮棒にして、応援する人たちの整理を担った。午後三時からのテレビ放送も聴いた。宗像福津の紹介は、来年になるともっともっと豊富になることを確信させた。駅伝大会がよくぞこの地へ来てもらったという感じだ。
<夜>津屋崎千軒藍の家で、津屋崎を応援するロックコンサートが開かれた。日中友好協会玄界灘支部員2人も参加。「人が人として人らしく生きる」津屋崎への想い願いが披露された。肝腎のロックでも、「ルイジアナママ」や「ダイアナ」などを和製プレスリーさんと懐かしさを覚えつつハミングしていた。

替え歌「露営の歌」によせて
岩佐 英樹
「露営の歌」は1937年(昭和12年)、日本軍が戦争を中国全土に広げた盧溝橋事件(支那事変)の年に生まれた。戦後生まれの戦争を知らない世代でもどこかでなんだか、耳にした曲である。作曲は甲子園高校野球の「栄冠は君に輝く」を作った古関裕而である。この歌は日中・太平洋戦争中、最も歌われた戦時歌謡の一つである。出征兵士を送り出すとき、決まってこの歌が歌われた。しかし、歌う庶民の心はうらはらである。戦争が始まると死ぬのはしがない庶民である。藤井忠俊は著書「国防婦人会」(岩波新書)の中で「戦争になると貧乏人から死んでいくという説は、私も信じることができる」「徴兵では貧困層からの徴集率が高いこと、それがそのまま前線に出るので戦死者にも貧困家庭のものが多いという因果関係なのである」と述べている。軍国主義一色の中、庶民は気持ちのやり場が無い。こんな鬱屈した気持の中で生まれたのがこうした替え歌で、子どもの口を借りて徐々に全国に広がっていった。
<露営の歌の替え歌>
負けてくるぞと勇ましく  誓って国を出たからは 手柄なんぞは知るものか
退却ラッパ聞くたびに   どんどん逃げ出す勇ましさ

勝ってくるぞと勇ましく  誓って国を出たからは 手柄たてずに支那料理
進軍ラッパ聞くたびに   まぶたに浮かぶ支那料理

負けてくるぞと勇ましく  誓って国を出たからは 手柄なんぞは知るものか
退却ラッパ聞くたびに   どんどん逃げ出す勇ましさ

勝ってくるぞと勇ましく  誓って国を出たからは 手柄たてずに支那料理
進軍ラッパ聞くたびに   まぶたに浮かぶ支那料理

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