日本と中国の友好を願って活動する日本中国友好協会玄界灘(宗像・北粕屋)支部

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<連載>日中友好協会新聞・雑誌の部分紹介
<2010年1月15日号>

50号『ニーハオ玄海』

この欄に「紹介」を開始して初めてのことですが、「ニーハオ玄海」の今号は残念ながら発行されていません。
「継続は力」であることを関係者は誰も知っています。しかし継続が意外に大変なことであることも担当者になって一層思い知らされます。忙しさに追われると、1回ぐらい遅れてもいいだろうとか、月に3回は無理だから2回発行にしようと考えてしまいます。
継続して読んでくれている読者の存在を無視する訳では決してないのですが、結果的に軽く考えてしまったことになるのかも知れません。
次回「紹介」を期待していて下さい。


400号『福岡県連版』
 
*『日中友好の大事な宝  福岡県連版四百号を迎える  2000名の会員に』(既報)。*『賀状ありがとうございました』(約230通、感謝)。*『新年はバザーで幕開け』(福岡支部)*日中『無料法律相談会 2月スタート』「一人で悩まず気軽にご相談を」。*『笑いあり、餃子あり、酒あり。 楽しく活動を続ける田川支部』。*案内『各支部帰国者担当者会議 2月4日11時30分』「13時から“帰国者の会”役員会と懇談会」。*中国情報『? 中国からの年賀状』(石津宏介)。

2181号『全国版』

*今も歌い継がれている日中友好の歌『東京―北京』誕生秘話。「関鑑子さんの音頭で着手」「多くの応募作品の中から」「李徳全女史歓迎で全国に」「中国でも歓迎、普及される」「21世紀にふさわしい”歌”の期待も」。*中国残留孤児闘争の記録集『政策形成訴訟』「?中国残留孤児はなぜ国を訴えたか?全国集団訴訟における全国連絡組織の活動と意義?中国残留孤児訴訟の各地での訴訟活動?判決が認めたことと認めなかったこと?訴訟継続と和解選択の問題?新たな支援策の確定と実施の経過?新たな支援策の概要・課題・評価?裁判闘争の全体総括と今後の課題」。出版記念会を開催(定価3000円 中国残留孤児国家賠償訴訟弁護団全国連絡会 TEL03-3835-9357 普及を願って)*『瓢箪笛と私』(高橋勉)。*『南船北馬』「短詩の中の正月風物誌」(三)。*市民50人以上にインタビュー『南京の今を見つめる』(牧野佳奈子)。*”世界経済危機”中国の世論調査『暮らしに影響した、が半数』*中国は広い『日本のアニメで日本語覚えた』「大袈裟かもしれませんが、マンガやアニメが“知日派”“親日派”を生み、その国の対日関係を築く一要因になっていく、すごいものだなあと思います。」(原秀彰)。*中国レーダー『建設進む中国の高速鉄道』「内需拡大政策の一環」「技術導入で国産」「和諧号が世界最速を実現」(王鵬)。*嵐に抗した人びとの足跡 日中友好運動半世紀の回想『中国展からの解任事件』「日中貿易促進会の解散」「宮崎理事長等の暗躍」「反中国分子と攻撃される」(橋爪利次)。*中国この日 1月2日『太陽暦採用』1912年1月2日「時憲暦=農暦」でなく「太陽暦」を採用。(それでも春節などの行事や個人の誕生日、結婚式など色んな場で今も「農暦=旧暦」が重視されている)。*『儀我壮一郎さんを偲ぶ』(平井潤一)。*京都で集い『憲法9条 中国人留学生はこう思う』(桐畑米蔵)。*『新春文芸』。*「海角七号 君思う国境の南」『中国語で夢を実現させた女優 田中千絵さん』(石子順)。*日中漢字比べ『「疼」と「痛」』(佟岩)。漢語の散歩道『等』(筧文生)。*中国のピアニストとピアノ音楽『ピアノを救え 文革の嵐の中で』(井上豊)。*中国映画のスター物語『意表をつく顔合せ範冰冰』「章子怡との演技対決愉快」(石子順)。

現物は以下の場所にご連絡下さい。
『玄界灘支部ニュース=ニーハオ玄海』福岡県福津市宮司4-12-17(TEL 0940-52-1246)
『福岡県連版』福岡市中央区渡辺通2-8-23(TEL 092-761-0604)
『全国版』東京都千代田区西神田2-4-1東方学会ビル3階(TEL 03-3234-4700)
100116

          <戻って来たモノ来ないモノ>

 「失くした」とのHPへの記載も終わった後、何の変哲もない封書が届いた。差出人名も何もない。中にパスポートと貯金通帳だけが入っていた。戻って来たのだ。「犯人」が気の毒がってわざわざ私の宛名を記し郵送したのだろう。
 上海の現地公安派出所に行った。
 しかし派出所は既にこの件は報告済みで終了しているからと、戻った事実の確認もなかった。私としては「犯人」につながる証拠調べも望むのだが詮無い話になった。
 他人事風で変な言い方だが、パスポートの遺失が泰州に残る原因になったし、色々学ぶことも出来た。かさ張る手帳や金目の物は返さないのだと解説する人もいた。どうあれ、失うのは悲しい。が同時に返った分だけでも有難い。その費用と時間が不要になった。
          <回来和没有回来的东西>
“丢失”在网页上刊载之后,竟然来了封奇怪的信,也没有寄信人名。里面有护照和银行存折。终于回来了。“犯人”因内疚而特意邮寄给我的吧!到上海的当地派出所去咨询,但派出所关于此事已经做完报告,也没有确认返回来的事实。只谈了希望我和“犯人”关联作为证据等无谓的话。
旁人风言虽然有点怪。因此丢失护照还留在泰州,也学到各式各样。也有人说怎么不返回大量笔记本及值钱的东西呢。不管怎样,丢失很难过。但有返回的东西也很感激。至于费用和时间就算了。

          <おせち料理>
 ハルビン、蘇州に続く中国での三度目のお節料理は、学生とも一緒に作ることが出来た。
 今年は年末に学生がりんごを持って来てくれたので、急遽いつもの「キントン」と「りんごキントン」の2種を作り食べ比べて貰った。思いがけなく焼き海苔も貰ったので巻き寿司も作れた。黒豆は時間をかけた分美味しかった。昆布といりこの佃煮風はいつも作っているがその時の気分で少しずつ味が変わる。これも楽しい。
日本人教員吉岡さんから日本産米のチャーハンを貰った。艶も粘りもある。日本に帰った時の楽しみの一つがこの米であることを思い出す。中国の普通の米(5?日本円で250円)でいつも満足している私は、時折お相伴に与る日本の米や餅が大変なご馳走になる。         
<过年料理>
继哈尔滨,苏州在中国的第三次过年料理是和学生们一起做的。因今年年末学生送给我苹果,突然想做平常的“甜白薯泥”和“白薯泥加苹果”两种菜给他们吃。因为也有烧海苔想都不用也做了卷寿司。豆因腌制时间合适也非常的好吃。因经常做海带和鱼子农家煮风味,根据当时的心情味道稍微变了一点,也很开心。
日本教员吉冈给了我日本产大米做的炒饭,即鲜艳又有弹性。我想回日本后最期待的东西之一就是这大米了。总很满足于中国普通大米(5千克日元250圆)的我,时不时从同伴那里得到日本的大米或年糕是极大的奢侈。

<考慮に値する「ブログ」の数>
『日中友好協会玄界灘支部 “ニーハオ玄海”』のブログは二年前の08年1月に開設されたのだが、09年5月、一年半で350人程も見てくれていることに気づいた。で、単なる案内でなく多彩な内容の記事になるよう努め、更新する回数でも少し頑張った。それもあってか三ヵ月後の昨8月に500人近くまで数えた。それから半年、もうすぐ1000人に達する。勿論他のブログで1万、100万とかあるらしいからまだ微々たる数でしかない。だが一人でも多くの人が日中友好に関わる話題を共有してくれることは嬉しい。
因みに、昨9月個人的事情から「goo」に開設した「ブログ=あるがままに前進」は4ヶ月の訪問者が1400人。昨7月に投稿を始めた小説だけのは半年で1300人である。
<值得考虑的博克数字>
《中日友好协会玄界滩支部“你好玄海”》的博克是两年前08年1月开设的。
到09年5月一年半的时间内有350人看了该博克。不仅仅只是介绍事项,也努力刊载多彩的内容,更新次数多。在那的三个月后即去年的8月末有将近500人访问。再半年之后,将近达到1000人,和其他1万,100万的博克相比是不足为谈了,但即使一个人或更多的人来共享中日友好的话题就感到特别的欣慰。
顺便说的是,去年9月因产生个人的事情设立了“goo”,“博克=保持原样前进”在4个月内竟有1400人访问,只是去年7月开始投稿的小说在半年内就达到1300人数。
福岡県連版四百号を迎える 

日中友好の大事な宝

 日中友好新聞「福岡県連版」は、会員・支部と県連をつなぐニュースとして、本部新聞(年間32回発行)に併せて発行を目指しがんばってきました。

 10年前の県連版2000年1月15日号(通算113号)は「日中交流の楽しい経験を」と、新年にあたって、藤井哲(当時)会長があいさつをしています。中国との交流が断絶して以降34年ぶりに、前年10月に協会との間に、交流が正常化した直後のことです。2カ月後の12月には、北川栄市元副理事長(現顧問)と松山盛利事務局長が、県連代表として、早速、北京を訪れ、北京師範大学幹部などと交流を行い、大歓迎を受けて、300人もの集会で、「協会は創立以来一貫して日中不再戦の立場で両国民の友好のために活動を続けてきた」と「歴史と伝統」の証である県連の旗を掲げながら挨拶し、大きな拍手を浴びました。

 「中国を訪れる日本人は多いが、侵略戦争をキチット謝罪して友好を進めようと語った日本人はいなかった」と感想が寄せられ、また、挨拶と交流の状況が中国国内のテレビで報道されたと、県連版は掲載しています。

 この中国との正常化から約10年県連版は287回(月平均2・5回)継続して発行されてきました。

 県連創立当時(1951年頃)から、幾多の困難の中でも、故小林重光、故岡本征治、吉武健児元事務局長らの奮闘によつて、「県連版」の灯は消えることなくつづいていました。 この先輩たちの血のにじむような努力の基盤の上に、現在の県連版はあります。


<連載>日中友好協会新聞・雑誌の部分紹介
<2010年1月5日号>
49号『ニーハオ玄海』
*『新しい年を迎えるにあたって』「なんとなく、気負わず楽しみたい」(支部長西村尚志)。*『2010年日中カレンダー 昨年の2.4倍』*『100名の玄界灘支部会員を目指して』「心新た 取り組みに自信を持ち 一層の発展を」*『日清戦争で意図的につくられたアジア人蔑視思想』中国近現代史講座報告(その3・追記)「日清戦争に反対した日本人=勝海舟」(川辺愛敬)。*中国生活『新型インフレ』(石津宏介)。*『2010年1月計画表』(主な行事と会議・実務を分け見易くなっています)。
399号『福岡県連版』 
*『あけましておめでとうございます』(福岡県連合会会長 武田正勝)。*『無料法律相談会 2月スタート』「医療・健康相談会も準備中」(福岡支部)。『大牟田市に中国人殉難者の碑建立を申し入れ』(福岡県連など)。*『つながりあう日本と中国 久留米大学で講演 講師は馬奈木支部長』。*『正しい歴史認識が真の日中友好の第一歩 馬奈木先生の講演を聞いて』「国際社会の中で日本が二度と間違いを起こさないために、私たちは、政府の政策が本当に正しいのかを判断できるようになるべく、正しい歴史事実を認識しなければならないと思いました」(学生平田)。*案内『第2回青年学生対策委員会 1月11日13時』。
2180号『全国版』
*中国モンゴル出身初の十両が誕生『蒼国来さん 初場所の土俵へ夢をのせて』「荒汐部屋から初の関取誕生」「親方との出会い」「稽古稽古の日々」「しこ名 蒼国来とは=雄大な内モンゴル草原の抜けるような蒼い空と中国の国」「初場所への意気込み」「日中友好の架け橋として」(荒汐部屋おかみさん作成のHP http://www.arashio.net/rikishi.html)。*『南船北馬』「司馬遼太郎の情けない日本語観」。*『新春の挨拶』「60年の節目に友好の原点を」(日本中国友好協会会長 長尾光之)。「両国民間の相互理解増進を」(中国国際交流会)。「互恵協力のため共同の貢献願う」(中国日本友好協会会長 宋健)*健康回復 連載再開『嵐に抗した人びとの足跡 原水禁世界大会脱退事件と西園寺の造反』(橋爪利次)。*東京荒川支部『行政と協力し中国との交流促進』。*宮崎・都城支部『全国が注目する核廃絶署名 基礎に日中友好運動』。*協会などが最高裁に要望書『強制連行・労働事件の解決急げ』。*『なぜ、いま、「坂の上の雲」か NHKドラマを考える神戸シンポ』「侵略正当化にならないよう要望書をNHK福地会長宛に提出するのも確認」。*『岡山県が「中国残留孤児」の学校教材作成』。*漫画『張爺、お話して』(池田朱美)。*『市民の中へ日中友好を 収穫祭で餃子販売』(福岡・八幡支部)。『ソフトパワーを重視 国際社会での役割強める』「影響力もつ大国として」「求められるイメージは」「変わりつつある世界で」(石田聡)。*新春文芸『ホッカホカの包子』(仙洞田英子)。*『庶民に定着する サイゼリア』(福永平和)。*太極拳大好き『気持引き締まる朝の練習』(中村幸雄)。*『長沙市で行われたジャパンウイーク』「石川好・森田兼次・石子順ら参加」。*漢語の散歩道『分別フンベツと分別ブンベツ』(一海知義)。*中国映画のスター物語『南京!南京!に出演の高圓圓』「南京の少女達の生命感を覚え、あの時代を生きて死んだ姜淑雲を現代に伝えることができた」(石子順)。

現物は以下の場所にご連絡下さい。
『玄界灘支部ニュース=ニーハオ玄海』福岡県福津市宮司4-12-17(TEL 0940-52-1246)
『福岡県連版』福岡市中央区渡辺通2-8-23(TEL 092-761-0604)
『全国版』東京都千代田区西神田2-4-1東方学会ビル3階(TEL 03-3234-4700)
・中国からの三題ばなし その9 100101

<中国からの年賀状>

あけましておめでとうございます。
中国での4度目の元旦を迎えることになります。
中国ではこの日、特別なことはありません。私は2010年9月からの上海での仕事が決まって嬉しく新年を迎えます。上海での万国博は5月から10月までですが、後半の50日程を現地で垣間見ることになります。その頃日本からの客人があればいいなと思っています。我が家を宿代りにして下さい。8月まではここ泰州に胡錦濤の旧家など見に来て下さい。
2009年は公私共に色々でした。個人的には、中国生活が出来たことは何よりでした。一方自分のだらしなさを見せ付けた面もあります。この10年は挽回の年にしたいし、皆様にとっても少しでもいい年であることを願っています。2010年 庚寅(かのえとら) 石津宏介
<来自中国的贺年卡>
恭贺新年!在中国迎来了第四次的元旦。在中国,这一天没有什么特别的。我于2010年9月开始在上海工作的事已经决定后很开心。虽然上海万博会是从5月开始到10月,但后半的大约50天能在现场近距离观看,到时候要是有来自日本的客人就好了,欢迎在我家借宿,到8月来观看在泰州胡锦涛的老家等。
2009年公私而言有很多,就个人而言,能来中国生活比什么都好。一方面也能看到自己散漫的一面,在这10年中想挽回的一年,衷心祝愿大家多多少少是个好年。
2010年 庚寅年 石津宏介

<喪失>
パスポートまで失くした。悲しく自問自答する。何故物を置き忘れるのか。物に対する執着心が薄いからだろう。これまでも時々失くしてきた。「浪費」身分でいるはずもないのに。だが、普通の貧乏人でなくなっているのだろう。鞄そのものもだし、一年半欠かさず使ってきたマイ箸、位置を知る磁石、小銭入れ、ペンシル、リムーバブルディスク等、それぞれの人との思い出の品々、他に、これまた買えない貴重な情報も失った。その時にしか書けなかった文や数字もある。だらしない自分が嫌になる。自分の弱点を変える見通しも持てない今、せめて「喪失感」を忘れないでいたい。幸いパソコンは残っている。三年日記も残った。これだけ。一方、仕事そのものは順調。これらをもってよしとする外ない。
<丧失>
连护照也丢了。悲伤地自问自答。为什么会忘记东西放在哪里呢?也许是对东西的执著心不强吧!到目前为止经常丢东西,没有“浪费”本身,就变成普通的贫困了吗?皮包也是这样,一年半从不间断使用的个人筷子,能确定位置的磁铁,储钱罐,铅笔,u盘等人们能想起来的东西,还有,买不到的珍贵信息也不见了。那个时候也能写出文字或数字。讨厌漫不经心的自己。改变自己弱点的计划到现在都没有,至少不想忘记“丧失感”。幸运的是电脑还留着,三年的日记也在,只有这些,在某种程度上工作是顺利的,只有这些也很好。

     <湯たんぽ>
 寒くなって学生たちはトイレで小さなボトルにお湯を何度も入れ換え教室に持ち込む。ところが一人こっそり私に触らせたモノがあった。可愛い花柄の布に包まれている。湯たんぽだ!私はそう思い込んでいた。後日、床に坐る時のために敷く毛布を買いに行って偶然この湯たんぽを見つけた。何と「電気湯たんぽ」と書いてある。12元だった。1枚15元毛布を2枚買った上での買物となった。まず充電、5,6分程度。布団の足元に入れておく。寝る時は低温火傷しないようにずらす。朝方は人肌の温もりを直に感じながら朝食準備までの短い時間に楽しんでいる。昔と違いゴムでなく小型のプラスチック製になった日本の今の湯たんぽも好き。でもこの中国製の柔らかさ感覚は日本製では味わえない。
     <热水袋>
变冷后学生们在厕所三番五次地用瓶子装上热水拿到教室里去。但有个人偷偷地拿东西让我摸。用漂亮的花格子布包着,原来是热水袋!我当时陷入沉思。过了几天,去买铺在床上的坐垫时很偶然看到了热水袋。写着什么“电气热水袋”,12块钱。15块钱一个得布套买了两个,够了吧!首先要充电5,6分钟左右,放到布套的里面,为了睡觉时不烫伤。连在早上也能直接感觉到温暖,到准备早餐短短的时间内也很享受。也很喜欢和以前的橡胶不同的现在日本变成小型的塑料制品。但是,中国制的柔软感觉在日本是体会不到的。