日本と中国の友好を願って活動する日本中国友好協会玄界灘(宗像・北粕屋)支部

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<連載>日中友好協会新聞・雑誌の部分紹介

『季刊中国 第100号 2010年春季号』紹介
*巻頭言 渡辺貢
「2010年、アジアの時代といわれ、“東アジア共同体”の文字が躍っている。」

*三農問題断想 田中祥之

 中国が資源配分を、市場経済システムを基礎に行うのは正しい選択ではない。中国における三農問題(農業・農民・農村問題=農民の権益が失われている問題)をめぐる現実は改めてそのことを示している。
<紹介者石津感想=福建省の農村出身の青年共産党員と話した。最初は国家の三農政策が出来たから都市との差別はなくなった、と言った。その後、人としての文化的要求から農村を離れる道を選ぶ自分たち若者の現実を告白し、それらが農村差別の証明である、とも語った。>

*党建設を集中討議した四中全会 平井潤一
党を厳しく治める任務・各種の弱点も指摘・党の執政水準向上が急務・マルクス主義学習型の政党建設・党内民主主義の発展・幹部人事制度の改革・党と人民大衆との結び付き・反腐敗闘争の深刻化
<紹介者石津感想=党建設は常に重大な課題であるはずだった。今回それが可能になったほど、事態は深刻なのかも知れない。私の知る学生の共産党員の多くはあらゆる意味で尊敬に値する。しかし、またどこの大学でも親の七光りや要領だけいいのが雑じっていた。これらのいかがわしい部分の解消が、党建設の具体的目標の一つにもなるべきなのだろう。>

*深刻化する腐敗の背景を探る
  ―中国の公的メディアから 末浪靖司(訳)
《学習時報2009年12月21日(第517号)》
『群集事件に直面して、政府はいかに反省思考し対応すべきか』汪玉凱
「当面の情勢をいかに判断するか・群集事件激発の深層原因・いかに処置し対応するか」
《新華報業ネット2009年12月31日』 
『なぜ県委員会書記が腐敗の危険の大きい層になるか?』高福生
 「1、権力の集中しすぎ 2、誘惑がどこにもある 3、監督する力の欠如」
<紹介者石津感想=四中全会の党建設課題と重なるが、この腐敗解消は深刻なだけに解決も困難な気がする。学生たちと語る将来像では、河の浄化=ごみ下排水処理と、汚職、賄賂の駆逐を挙げる。蟷螂の斧であってもどこかから始めなければ腐敗は永久に存在する。中国の公的メディアで公表された文の末浪訳を読むと、中国の心ある学生たちも少しではあれ希望を抱けるのではないか。>

*新歳時記 春の巻 春聯 春を迎える対句 辻雄二
「対聯という一文化事業を通し、ナシ族固有の文化創造のあり方、そしてその底流にある人々の思いを学ぶことには、日本と中国のみならず、世界のあらゆる人々との相互理解のあり方を考える上で、重要な示唆が含まれているのではないだろうか。」

*中国の外交における中央アジアの意味
 (一九九〇年代半ばから) 趙宏偉
「はじめに」。「一、中国のアジア外交の柱」上海ファイブと上海協力機構・苦悩 自由経済圏に進まない上海協力機構 「二、ユーラシア外交への延伸」上海協力機構の拡大・中印ロ三国強調の企み・二ヶ国間、多国間協力体制の構築 「三、アフガニスタンにおける利益と責任」「終わりに」。
<紹介者石津感想=「日中友好新聞」は、10.3.5号1面トップで、「米国が意識的に対中摩擦」と記した。アメリカ政府の中枢における一極主義と多極化志向の権力争いでは後者が勝って来たとの指摘通りの振舞いであろう。アフガンでアメリカが期待する中国の役割の指摘など、中国を中心とした経済政治状況の分析で、私は目を開かせ貰った。思えば5年も前から中国では当然のごとく上海協力機構をニュースに仕立てていた。日本ではどうだったか。あたかも諸々な思いを駆け巡らせる「小説」を読めた気分である。>

*中国文学あれこれ 89
   『文學雜誌』と『現代文學』 二誌を通して見る五、六〇年代
  台湾文学のモダニズム意識  小笠原淳
「“現代文学”の創刊・“文学雑誌”と白先勇・“文学雑誌”と新進気鋭の青年作家たち・“文学雑誌”のモダニズム意識・“現代文学”のモダニズム意識・“現代文学”とフランツ・カフカ・結び」
<紹介者石津の感想=この種のテーマに関しては疎いし興味も薄い。それでも辛抱して読めば、奇花異草に敢て挑戦し得た若々しさや、時代の動きを感じ取ることは出来る。>

*中国内外大事記 2009年10月~12月

*読者の声・編集後記

発行所 東京都千代田区西神田2-4-1東方学会ビル3階(TEL 03-3234-4700)
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<連載>日中友好協会新聞・雑誌の部分紹介

<2010年3月15日号>

55号『ニーハオ玄海』
*支部会員・松本さんが「核不拡散会議」(NPT)再検討会議成功のためにニューヨークへ「署名カンパなどでご支援下さい」。*残り3ヶ月・支部目標達成に全力を!「3月1日・第8回玄界灘支部役員会での決定」支部としては、第1弾「シュウマイ料理教室」第2弾「4.1花見」第3弾「5.29首羅山歴史探訪」を重視。*ご案内「本場中国のシュウマイ作って食べよう会」「いのちの山河 日本の青空上映会」「よくわかる中国語初級講座 後期4月~9月日程表 毎月1500円安い!!於・ボランティアハウスふくま」「近刊紹介『植民地近代化論批判』柴田繁男訳光陽出版社1524円」。*中国通信?「海豊の牛たち」。

403号『福岡県連版』 
*武総領事を迎え春節祝賀会開く 110名が参加 早くから市民に伝え新しい仲間も増える(糸島支部)。*核廃絶のために世論を「ニューヨーク行動、井上さん参加」(福岡支部)。*『中国語スピーチ発表会』各支部から参加を「4月11日(日)13時 博多リバレイン・リバレインオフィス10階ココロンセンター 記念講演吉田琢斗氏 無料」。*青年部結成準備会 学習交流会「福岡筑紫支部3月16日」「小倉支部3月26日(金)18時半~ 北九州協議会事務所」。*<既報>「市民と共に 中国語教室もある施設が存続へ」(玄界灘支部)。*福岡と大連弁護士会が提携交流「調印祝賀会に武田県連会長が出席」。*国際友好団体親睦の集い開く 日本コリア協会・日本ベトナム友好協会・日本ユーラシア協会・福岡ウズベキスタン友好協会と日中友好協会が参加。*田川支部新役員決まる「支部長=一番ヶ瀬宗幸」。*「この情熱と信念 野中さん」(玄界灘支部)。*ご案内「中国映画『胡同の理髪師』を観る会 3月28日(日)?11時か~?14時~於・福岡市総合図書館映像ホール」。「文化作品発表会 3月29日~4月4日 於・福岡日中文化センター」。「日中法律・医療健康相談会 毎月第3金曜日 医療16時 法律18時 無料 前日までの申し込み不可欠」。「体験きりえ入門4月3日(土)14時~16時」。「うたごえ喫茶4月3日(土)18時半~20時」。「中国茶会 毎日午後」 (以上4件 於・福岡日中文化センター)。

2187号『全国版』
*<既報・特別紹介>「天安門楼上をデザインした 画家 小野澤 亘」『中国の人びとの心に刻まれた「功績」』「白毛女 の舞台美術を担当・天安門を飾ったアイデア・今も生きつづけるデザイン」。
*「江戸や鮨八」の経営者 早津展久さん「中国の小学校に学用品を寄贈」。*東京都の「君が代」強制 (「君が代」強制解雇裁判原告 平松辰雄)。*「中国のネット人口急成長 利用者3億8400万」。*南船北馬「日中友好協会は今年創立60周年。本部のある千代田区東方学会ビルの建設は1923年関東震災の翌年。今も昔も変わらぬ日中友好のシンボル。」(宣)。*「中国の野生トラ 保護に全力 全国にわずか50~60頭」「200箇所の保護センターにいるトラは6000頭」。*開催間近―上海万博?「都市づくりをテーマに」(孫国震)。*黄土高原の変遷(下)『メタンガス利用で循環型農業へ』「自然環境が大きく改善・政府が費用の半分補助・技術指導が不可欠」(姜波)。*『今なぜ歴史が問題か』「3.1 7.7 8.15 9.18 を知らない日本の学生たち・今年は韓国併合100年・明治時代から始まったアジア侵略・歴史を知るが友好の基礎」(丸山重威)。
*「中国大陸から64万人が訪台観光」。*「紫金草物語」広島で初演へ(谷口武士)。*3月20日「中山艦事件」<紹介者註=国共合作に反したこうした事実を不問にすることは出来ない>。*嵐に抗した人びとの足跡『脱走派の妨害と分裂策動』「妨害のなか名古屋展参観運動・福岡と愛知の分裂策動・関西を毛派の拠点に、の策謀」。
*神戸大学教授王カ氏の記事について「民族問題だけでないことだが、慎重かつ科学的に扱うべき」(佐久間徹)。<紹介者特別の註=紹介文を記していた時、私もおかしいと思っていた。でもそのままにしていた。これがいけないことなのだ。問題の大小に関わらず、諦めない、無視しない、人任せにしないことが大事。あらゆる民主的運動に不可欠の姿勢であることを改めて気づかされた>。
*『春節華盛り』(山形支部・米子支部・東京荒川支部・京都府連・宮城若林区支部・埼玉斎心会)。*「仲間つくり」推進コーナー『全国大会までに200人増を。福岡県連理事会。*幅広い要望に応える活動で輪を広げて「大阪西支部・兵庫加古川支部・和歌山で2.11集会。自由が支える民主主義」。
*中国ピアニストとピアノ演奏『改革開放の時代』「極左路線からの転換・ピアノブームの到来・多様なピアノ曲の出現」(井上豊)。*本紹介『上海の百年』が本に、荘魯迅著『上海 時空往来』平凡社発行320?1680円(平井潤一)。*荘魯迅さんの2010年春季公開講座「ああ上海」4月24日(土)午後1時半~4時 於・台東区民会館第2会議場。*写真で見る中国の旅「3月武陵源(湖南省)」(加藤勤)。*おのざわさんいち空襲画展『忘れてたまるか東京大空襲』「一面紹介 小野澤亘氏の弟、しんいちさんの空襲画展 300円 於・東京大空襲繊細資料センター(江東区北砂1-5-4 TEL 03-5857-5631)」。*おすすめDVD「どうするアンポ 日米同盟とわたしたちの未来」日本平和委員会5000円。*漢語の散歩道『情書』(筧文生)。*日中漢字比べ『盖章と捺印』(トウ岩)。*中国映画の明星(スター)物語「童瑶?」『霍建起監督が見つけた才能』「霍建起の作品はその妻・思蕪スーウーの脚本による。童瑶はその脚本によっても生かされた。」(石子順)。

現物は以下の場所にご連絡下さい。『玄界灘支部ニュース=ニーハオ玄海』福岡県福津市宮司4-12-17(TEL 0940-52-1246)
『福岡県連版』福岡市中央区渡辺通2-8-23(TEL 092-761-0604)
『全国版』東京都千代田区西神田2-4-1東方学会ビル3階(TEL 03-3234-4700)
市民とともに
中国語教室もある施設が存続へ  
玄界灘支部


 昨年、10月1日、玄界灘支部も登録し、中国語講座などで利用しているボランティアハウス・ふくまの「中央公民館への統合、現施設の閉鎖案」が発表されました。
 ボランティア活動に励む市民(71登録団体、約千八百名)の頭越しの提案でした。利用者の圧倒的に多くが現施設の存続を望んでいる。けど、あきらめムードも漂う中、今年になって、「存続を求める会」が結成されました。玄界灘支部はその一員として名を連ね、積極的にがんばりました。
 1月27日、福津市との話し合いが行われ、参加者は「交通機関がない」「ボランティア活動を生き甲斐にしている高齢者を事実上排除してしまう」「市街地の活性化に逆行、それに市が自らが手を貸すことにはならないか」など活動上、大変な支障をかかえることを訴えました。
 2月5日、会では「署名運動」と「市議会への請願書提出」などの活動を決定、直ちに行動に移りました。こうした動きが大きな影響を与え、2月9日、福津市執行部は市議会全員協議会に「ボランティアハウス・ふくまの統合は、本年度見送る」と提案し、若干の反対意見がありましたが了解されました。
 市民のまっとうな要求が実って、「声を上げて好かった。今後、更にボランティアハウス・ふくまを発展させたい」と市民や登録団体や商店街の方々は大変喜んでいます。
本文「字数変更 360字」・中国からの三題ばなし その14
        (翻? 所V秀?)

<中国でのバイク初運転>
 中国で最初に勤めていたショウ州では同僚教員のバイクに乗せて貰うことが多かった。ハルビンでは自分の電動自転車に乗るだけだった。蘇州でも同じ電動車だったが偶に学生のバイクに乗せて貰うこともあった。それでも日本でと同じように自分でバイクを運転するのを夢見ていた。しかし実現はなかなか難しい。それが広東省の南、太平洋に突き出た「遮浪半島」で実現したのだ。風力発電の風車が10基以上も並ぶ風の強い場所なのだが、ここを100ccバイクを借りて走ることが出来た。30km程度の距離でしかないが、私は十分に堪能した。最後は、田舎芝居を2時間観た後の夜の10時過ぎからの6km。時に対向車がまぶしかった。風も冷たかった。だが、スピードを落としていたとは言え、いかにもバイクに乗っていると言う便利さを体感した。上海では買うべきかどうか検討課題にしたくなった。

<振り返り今年の春節>
 「春節」と言えば、まず以前のハルビン市木蘭郊外の農村の春節とオンドルのような温かな寝場所を思い出す。春節の旅では列車の切符を買えなかったことも思い出す。何時間も待つ辛抱強さもないが、この時期の特別の買い方も知らない。だから長距離は飛行機に乗っていた。一方バスは切符の買い易さも好きだったのだが、今回の春節の旅では列車はもとよりバスの切符すら買えない現実に出遭った。それで予定が狂ってしまった。
 上海も江蘇省も出かける時は寒く零度近くを示していた。それでも一晩明けると暖かい世界にいるはずだった。しかし福建省も広東省も実際は寒くて持っているものを全て着込む感じになった。ただこの種の予測違いは悪くない。別の体験が出来たことになるからだ
下駄はどこでも活躍した。小さなことだが、水溜り等で靴は到底下駄に敵わない。

<初雪>
 泰州は福岡と同じ程の緯度だが、冷たさを感じることが多い。ところが雪は降らない。先日初めて雪らしい雪の降るのを小一時間経験したが、地面が濡れていて、降っても降ってもすぐ消えていた。ところがその二日後の朝、目覚めると積もっているのである。
一面の白銀の世界というには程遠いが、雪なのだ。学校の渡り廊下は吹き曝しだから雪も降り込む。滑りやすさに気をつけ杖を突き突き教室に向った。大学生だからか、雪合戦も雪ダルマもない。でも小中学校で珍しい景色に喜ぶ子どもたちの様子を想像してみた。
 こんな時、刀郎の『2002年の初雪』の歌を思い出す。ウルムチはタクラマカン砂漠のすぐ側だが緯度は高くハルビン並、寒いはず。今年はウルムチ等にも夥しい雪が降った由。三年前の冬休みは下駄のまま闊歩できた場所だった。が寧ろそれは例外的気候だったのだろう。


<在中国第一次开摩托车>
在中国第一次工作的地方漳州,同事用摩托车经常载我。在哈尔滨骑自己的电动车。在苏州偶尔学生也用电动车在我。即使这样,也梦想着和在日本一样自己骑摩托车。但现实很困难。那是在广东省的南部,太平洋突出的一个半岛,遮浪天涯海角上实现了。风力发电的风车有10架以上并排着风很大的地方,在这里借了100cc的摩托车。虽然不到30km的距离,我开得非常的熟练。最后,去看了2 个小时的乡村戏曲,已晚上10点过后,在回去的6km路程中,总有对面开过来的车灯很刺眼,冷风梭梭。虽说是放慢了速度,自己开着摩托车的便利让我确切体会到了。在上海是否该买辆摩托车成为讨论的话题。

<回顾今年的春节> 说到“春节”,首先想起以前在哈尔滨市木蘭郊外的农村春节和炕一样温暖的场所,也回想起因春节旅行买不到火车票的情景,没有长时间排队等待的耐性,在这关键时期买票的特殊方法也不知道,因此只能坐长途飞机。一方面也喜欢巴士买票的方便性,这次的春节旅行遇到了不仅是火车就连巴士也买不到票,打乱了原来的计划。
无论上海还是苏州,出发的时候很冷接近零度,即使这样在一晚过后该是温暖的世界吧!但是,实际上福建省广东省也很冷,带着的衣服全部穿在身上。但这种错误的预测也不算坏。可以体验到另一番风味。到哪都穿着木屐。比如小的地方,水会沾湿鞋底,而木屐却安然无恙。

<初雪>
  泰州是和福冈一样的纬度,感觉到冷的时候较多,但从来不下雪。前些日子第一次有点像雪的东西飘了不到一个小时,地面很湿,即使下了雪,到了地面也立刻化了。但在那两天后的早上,当我醒来的时候却积满了雪。
说是白银的世界有点夸张,全部是雪。学校的走廊也吹下了很多雪。为了防止路滑,我拄拐杖去教室。虽然是大学生,也没有打雪仗或堆雪球的。但想象起小学和中学校园里孩子开心的珍贵场面。
这时候,想起了刀郎的《2002的第一场雪》,乌鲁木齐在塔克拉玛干沙漠的另一边,和哈尔滨一样高的维度,一定很冷。今年乌鲁木齐等下了很大的雪。想想三年前的寒假,我穿着木屐阔步行走,那是特别的气候啊。


日中友好新聞{全国版}

2010年3月15日号1面トップ記事

中国の人びとの心に刻まれた「功績」
天安門楼上をデザインした画家 小野澤亘

 小野澤亘という漫画家がいた。そしてこんな画家がいたのかと驚かされ、感動する。画家・小野澤亘。1949年の開国大典といわれる国慶節のため北京の天安門楼上のデザインをした日本人だ。
 09年、建国60周年記念劇映画の一本に「天安門」(監督=葉大鷹)という大作が公開された。1949年10月1日に行われる国慶節パレードに備えて天安門の飾りつけをするようにと命じられた抗敵劇社舞台美術隊の創造活動と労働を描いたものである。その隊に上野という名の日本人兵士がいて飾りつけで大きな役割をする。この映画を見た時、この兵士は小野澤亘をモデルにしたのではないかと思った。(取材・文=石子順)

1935年に中国へ

晩年の小野澤亘
『電影創作』1996年5月号 裏表紙より

 小野澤亘は1909年に東京で生まれ、1995年に亡くなった。夫人もすでに亡くなられて、小野澤亘の実弟で画家の故・おのざわさんいちさんの夫人とし子さんを訪ねたところ、貴重な資料が残されていた。北京電影制作所発行『電影創作』1996年5月号で、そこに小野澤亘の「華北電影隊の日々」という一文と、天安門を飾った経歴が紹介されていた。
 小野澤亘は、1935年に中国に渡った。大田耕士(のちに宮崎駿の義父となる)たちと風刺誌『カリカレ』を編集しているが、日本プロレタリア美術同盟の活動で警察に狙われたのだ。

「白毛女」の舞台美術を担当


映画「天安門」から

          <左は隊長、右は小野澤亘のモデル>
 北京では『北京漫画』という雑誌などにかかわった。1945年、日本の敗戦直後に、中国人同僚で地下工作者の梁津と北京を自転車で脱出、11月に八路軍下の張家口に入った。ここで人民劇院の汪洋、劇作家の鐘敬之と出会った。すぐに抗敵劇社の歌劇「白毛女」の舞台美術を依頼された。小野澤亘の小野と中国語で同音の肖野という名で、カメラマン沙飛もいた晋察冀軍区所属の八路軍文化工作員となった。
 「白毛女」の主演女優の田華たちとは同じものを食べ同じ所に寝て美術工作に活躍。国共内戦の激化で張家口から撤退したあとも各地で宣伝漫画やスローガンを描き、汪洋が隊長の華北電影隊員として巡回映画活動にも加わり似顔絵を描いた。
天安門を飾ったアイデア


小野澤亘作の彫塑が使用されたマーク

 49年に解放された北京に入城。そして与えられた大きな仕事が天安門上のデザイン。初めの案は上級の許可にならず、小野澤亘がひねり出したのが楼上に巨大な提灯を8個もかかげるというアイデアで、このデザインが通った。10月1日、毛沢東はこのようにして飾られた天安門上で建国宣言をした。
 筆者が小野澤亘から直接聞いた話では、「天安門の毛沢東肖像画。一番初めのは帽子をかぶっていますが、私が描いたんですよ。高い所で描いてると、下にいっぱい見物人がむらがって大したもんだなんて声がかかったものです」。
 49年には汪洋が所長となる北京映画制作所が成立。全作品のトップに映し出される北京映画制作所のマークの労農兵像の彫塑も小野澤亘が制作したのだ。

今も生きつづけるデザイン


小野澤とし子さん 
 1995年9月6日、小野澤亘が亡くなった時、中国から多くの弔電、追悼文が届いた。「そのなかに女優・田華さんの心のこもったその死を悼む弔電があったのですよ」
 「私の兄は湖南作戦で戦死、さんいちも1938年に南京まで兵隊で行っています。兄弟のなかでも長かったのは亘さんです。帰国された時、弟のさんいちを新聞記者と間違えるほどでしたよ。やさしい人でした」と、とし子さんの言葉だ。
 小野澤亘は解放軍の大佐待遇だった。中国のためにいかに大きな貢献をしたか、うかがうことができる。日本に帰国後、漫画家として活躍、本紙にも漫画を連載した。しかし中国でのことはあまり語らなかった。その仕事の一端が60年たって映画になったのだ。中国人は100歳になった小野澤亘を忘れていなかったのである。
 天安門は何回も修理、改築されたが、小野澤亘のデザインは今も天安門上に生きている。

映画「天安門」とは

  映画「天安門」は建国50周年映画に葉監督が企画していた。いろいろな事情で10年延びたものである。美術隊長に28日で国慶節の天安門を修復し飾れという秘密の特別任務が与えられる。彼らが入った天安門は蛇が棲むほど荒れ果てて無残だ。そこを掃除しつつ考え出した第一案は却下された。日本人の兵士が描いた天安門上を大提灯で飾るアイデアが採用される。この場面、さらさらとラフ・スケッチを描くところに的確な描写力を見せる。彼らは天安門の飾りつけのための大提灯を作る職人を探しはじめる。彼らが協力しあって仕上げた天安門上に明かりが赤くともるシーンが美しい。隊長のモデルは蘇凡といい、女優田華の夫であり、小野澤亘の親友でもあった。歴史秘話の発掘映画だ。(日本未公開)
<連載>日中友好協会新聞・雑誌の部分紹介

<2010年3月5日号>

54号『ニーハオ玄海』
*「中国近現代史講座」参加の弁『中国近現代史に取り組む理由』「40歳代半ばで知った故郷北九州市小倉でなく長崎に原爆が投下された事実。退職後愚かな戦争を解明・究明したく近現代史を紐解いている。」(藤井和貴)*故事来歴②『東施効顰=顰(ひそみ)に倣(なら)う』「西施の顰(ひそみ)をまねた東施の効果は如何?」*ご案内『玄界灘支部第3回総会』6月6日(日)10時~12時。*ご案内『本場中国のシュウマイを作って食べよう』3月22日(月)午前10時半 前日に仕込み 会場ふくとぴあ 会費500円。(申込先松尾0940-43-0329)*3月計画表。

402号『福岡県連版』 
*6月全国大会に向け会員・市民に心を寄せる活動が進む『第2回県連理事会、200人増を確認』。*筑紫支部結成準備会『地域のみなさんのご参加をお願いします』。*福岡・筑後青年部準備会3月16日(火)19時日 中文化センター『学習と交流 若い人は集まろう』。*ご案内『中国語スピーチ発表会』4月11日 博多リバレイン(詳細は後日)。*友好協会ならではの『医療健康・法律相談会』スタート。*読売新聞1.18号『日中友好に尽くす糸島支部長宗広夫妻を紹介』引き揚げ夫婦「懸け橋に」、「戦後」しみるギョーザ(角谷志保美記者)。*第1回中国人強制連行・強制労働事業所跡地探訪「5月8日(土)」。*九州地区中国帰国者の会主催 「感謝の会」4月29日(祝)協力日中友好協会福岡県連等。*帰国者役員会と懇談会『今後も支援が大事』。*福岡支部新春の集い『演奏・歌・踊り・大道芸能、笑いと拍手の3時間』。*『無料券 残少』 文化庁主催 「日中合作公演とシンポジウム」『3びきのコブタ』。3月19日(金)13時半 太宰府市九州国立博物館、20日(土)13時半 飯塚市嘉穂劇場、21日(日)14時 北九州芸術劇場、22日(祝)福岡市ホテルニューオータニ博多、25日(木)16時半 大牟田文化会館。*

2186号『全国版』
*米国が意図的に対中摩擦『衰退化の超大国 「登り龍」への牽制』「グーグル、台湾、ダライ-ラマ オバマ訪中で戦略的協調確認 米国債減らした中国 どうなる胡主席の訪米」。*中国残留日本人孤児 長安伊知子さん『雨桜』を自費出版。「孤児となった半生。幸運にも日本に帰るときが来た私は、天へ向かい世界へも届く声で雄叫びをした!!」 23万華字 358p敦煌文芸出版社(甘粛省)発行 希望者申込先〒135-0062東京都江東区東雲2-4-4-223長安伊知子方 <日本語に翻訳してくれるボランティア募集中>。*『季刊中国』主宰「中国のマルクス経済学研究は?」宮川彰首都大学東京教授が講演。*「中国の若者たち」(吉田邦夫)。*南船北馬 民医連レポート「品格のある国 キューバ」の連想で藤原正彦『国家の品格』に対する批判=「国家には自由、平等、民主主義は不要かの批判(徳方宏治)」を支持(竹)。*開催間近―上海万博③「街の化粧直しと市民マナー」(孫国震)。*『進まない戸籍改革』「都市農村の矛盾深まる 三等国民になっちゃう・都市化進み不満うっ積・憲法では国民は平等と」(石田聡)。*黄土高原の変遷(中)『広がる豊かなりんご園』「灌漑改良で5万人に恩恵・裁判面積2万㌶・国内の販売拡大などが課題」(姜波)。*中国は広い<最終回>『漢字が読めない』「基本的には、漢字一字のときは訓読み、漢字二字なら音読み、と教える」(原秀彰)。*嵐に抗した人びとの足跡『協会と「断交」言明』「脱走派旗揚げを中国が激励・エスカレートする文革賛美」(橋爪利次)。<かつて文革を賛美した「日中文化交流協会は、現在(辻井喬会長)、日中友好協会の活動に協力・支援あり>*『春節の集い』愛知県連・東京都連・福井支部・さいたま支部・千葉支部・県連は初出店で交流とPR「にぎわった名古屋『春節祭』」(浜島健)。*「仲間つくり」推進コーナー『200人以上の会員増をめざし奮闘する東京都連』。*江戸糸あやつり人形劇団 結城座『宦官提督の末裔』を公演。日中の人形遣いの共演が夢「時代の武将 鄭和を題材に・人形と人間が織りなす独特の舞台空間・ルーツは中国」(お)。*きりえで描く中国②「白族の藍染工房」(石橋了)。*『大雁塔周辺の新しい街』(西安・牧野光延)。*本紹介『末期戦中派の風来坊』「あの嵐=文革の渦中で日本の平和民主運動の活動家として「自主性」を貫き通すことは並大抵のことではない」(評者大田宣也)<もう半世紀近くも前に『十年経ったら』で若者を奮い立たせた詩人土井大助の本 連絡先〒201-0015東京都狛江市緒方4-5-13土井大助>*漢語の散歩道『音と訓』(一海知義)。*中国映画の明星(スター)物語「童瑶『小章子怡といわれて』」『山の郵便配達』の霍建起監督は童瑶に何かを見つけた(石子順)。

現物は以下の場所にご連絡下さい。
『玄界灘支部ニュース=ニーハオ玄海』福岡県福津市宮司4-12-17(TEL 0940-52-1246)
『福岡県連版』福岡市中央区渡辺通2-8-23(TEL 092-761-0604)
『全国版』東京都千代田区西神田2-4-1東方学会ビル3階(TEL 03-3234-4700)


<連載>日中友好協会新聞・雑誌の部分紹介
<2010年2月25日号>

53号『ニーハオ玄海』
*ボランティアハウスふくまの存続が決定!福津市民の要求の高まりで閉鎖・統合案を撤回 「声上げてよかった」。*玄海と中国「宗像北糟屋の遺跡遺物を訪ねて 第2回、縫殿神社(福津市奴山)」280年に滅んだ三国の一つ呉に400年代に関わったと記述されている謎をも指摘。*映画上映会ご案内『いのちの山河 日本の青空?』(大澤豊監督)3月14日?10時半?14時?18時半 於 古賀市中央公民館 前売1200円。

401号『福岡県連版』 
*青年部結成に向け学習交流会「若い女性がその場で入会」(小倉支部)。*福岡支部も青年が集う。*田川支部が総会開く。*糸島支部新年ぎょうざ会「武総領事も出席」。*文化庁主催 「日中合作公演とシンポジウム」『3びきのコブタ』。3月19日(金)13時半 太宰府市九州国立博物館、20日(土)13時半 飯塚市嘉穂劇場、21日(日)14時 北九州芸術劇場、22日(祝)福岡市ホテルニューオータニ博多、25日(木)16時半 大牟田文化会館。*帰国者と懇談会。*NHK『深谷節子さんを報道』昨年の「12月8日」に放映(中国での体験談と平和の語り部活動紹介)。*県連版発行の乱れについてのお詫び。*訴え「みなさんの力をお貸しください」 『全国大会にむけてひとりが一人の会員、準会員を迎えよう』。

2185号『全国版』
*こまつな公演『シャンハイムーン』日本と中国の友情を。魯迅を演じる村井国夫さんは語る、「父と日中友好・魯迅と内山完造の友情・井上ひさし作品の魅力・変革を願った魯迅」。*中国撫順戦犯管理所所長張継承さん「日中友好のために『継承』の仕事を」。*中国人強制連行 群馬訴訟「国と企業の共同不法行為は認定 だが、東京高裁“裁判上の請求権を認めない”不当判決」。*『ウイグル』の意味は「団結」(福田誠)。*南船北馬「日中歴史共同研究の報告書」公表。だが1962年2月末「中国人留学生が襲撃された」等の中国側見解には、現場を知る者として違和感。*『三国志・曹操の墓発見!?』「歴史の英雄めぐる論争――疑問視する声も」(加藤徹)。*開催間近―上海万博?「地下鉄などのアクセス」(孫国震)。*『中国のV字型経済回復』「中国の存在感急上昇・増える世界一のリスト」(井手啓二)。*黄土高原の変遷(上)『様変わりした農村風景』「37万平方?の広さ・ODA資金などの投入・緑に覆われた山地」(姜波)。*中国この日 1954年2月6日『高崗・饒漱石「反党問題」』(毛沢東「陰謀を企む者は証拠を残さないものだ」と主張。これ以後事実や証拠は不要となった)(佐)。*嵐に抗した人びとの足跡『協会を守った人びと』「ある理事の回想記から・大成功の理事会」(橋爪利次)。*60歳以上の人口1,67億人(全人口の12.5%)上海では21.6%。*歴史の真実を語り継ぐ『戦争展の運動経験交流』19都府県から100人参加。*「楽しかった大分県での体験 福建省の農業研修生(呉火和さん)が感想」(高島)。*本紹介『慰安婦問題が問うてきたこと』「日本軍の性暴力の被害者は何を訴え、日本社会はどう応えてきたか?」(岩波ブックレット 大森典子・川田文子著 525円)。*おすすめの中国映画『台北に舞う雪』「すべてが新鮮なラブストーリー」(石)。*中国を読む『盛世』「国の勢いが盛んな時代」(及川淳子)。*日本と中国を結ぶ花『松―百木の長』(浦辺トウ子)。*魯迅と木刻青年?『頼少其』「インク壷の魯迅先生」(三山陵)。*漢語の散歩道『胡言』(林香奈)。*中国映画のスター物語「範氷氷『十月圍城』大ヒット」(石子順)。

<海豊の牛たち>
 訪問先は、広東省の小さな農村ながら広大な敷地を擁していた。そこで水牛ではなく日本にも多くいた黄牛を15頭飼っていた。現金が欲しくて一年で売れば得られた2000元はすぐ消えてしまう。二年間三年間と我慢して育てていればその分少し大きな額が手に入る。「放牛」と言うこの仕事で子どもを大学に行かせる。牛を草地に連れて行き、途中での見回りも怠らずまた連れ帰る面倒な仕事も厭ってはいられない。冬の大地にわずかに覗かせている緑の草々を、牛はひたすら吸い取るように食べ続ける。薩摩芋も収穫する。泰州で買えるのは赤芋だが、ここのは日本で食べていたのと同じ白芋。しかし今は人は食べず、あひるなどの餌になっていると言う。土産に貰った芋は私にはとても美味しかった。

<海丰的牛>
  这次访问的是广东省内一个拥有宽阔土地的小农村。那里饲养的不是水牛而是和日本一样的黄牛,有15头。小牛长到一周年可以卖2000元,但现金马上就会花光,没有必要的时候不卖。再养两年至三年,能卖到更高的价格。“放牛”这样的工作能供养孩子读到大学。把牛牵到草地,中途要去看好几次,傍晚又毫不厌烦地牵回家。冬天的大地寥寥无几的绿草,牛却一个劲地不断肯着。也拿到番薯了,在泰州能买到的是红色的,这里拿到的和在日本吃过的一样,是白色的。但这里人却不吃,据说是喂鹅等家畜的饲料。作为土特产得到的番薯对我来说特别好吃。

<ある日の走行距離> 
 出不精な私だが、時には一日中の長躯のバス旅も厭わない。2月17日はこうだった。
 7時過ぎ熱い粥を食べ別れを告げる。坑子口7:40<30km>8:40永春(見送り人との別れ)9:10<160km>12:00アモイ(三年振りに出会った教え子とその彼氏と一緒の昼食)14:40<300km>18:40スワ頭(駅前食堂で中国に来て最上の定食)20:40<200km>23;50海豊(別の教え子とその彼氏と夜中の繁華街を見学)0:30<40km>1:00スワ尾・紅海湾(彼氏宅までタクシーで小一時間、それから家族の皆と夜食)。(たどりつくまで18時間)。
距離730kmは、日本に置き換えると、愛知万博会場<30km>名古屋<160km>大阪<300km>広島<200km>北九州<40km>福津。全てバス。私はこの長時間内の色々を存分に味わう。

<某天的行程距离>
  懒得出门的我,一整天在巴士度过也不厌烦。这天就是2月17日。
早上7点,喝过热粥后出发。坑子口7:40<30km>8:40永春(和送我的人告别)9:10<160km>12:00厦门(三年不见的学生及她男友一起吃午饭)14:40<300km>18:40汕头(车站前的食堂吃了最好吃的快餐)20:40<200km>23;50海丰(和另一个学生及她男友一起观看商业街夜景)0:30<40km>1:00汕尾.红海湾(打的到她男友的家不到一个小时,然后和他家人一起吃宵夜)。(好不容易走了18个钟)。
距离是730km,在日本换算的话,爱知万博会场<30km>名古屋<160km>大阪<300km>广岛<200km>北九州<40km>福津。全都是巴士。在这长时间内我充分体验了各种各样的东西。

<アモイ・蘇州・丹陽>
 三年振りに出会う人もいた旅だったのだが、若い人の三年間は、彼女彼氏も出来、結婚した人もいる。年寄りとしては若い人の変化が眩しくまた頼もしくもある。
 蘇州の観善街では日本のテレビ録画が見られるDVD機を一緒に探した。私には理屈が分らないのだが、映像をパソコンで見る機械を結果的に見つけることが出来なかった。
 丹陽は現役の学生の故郷。ここは眼鏡を買うのがいいと蘇州の人にも教わっていた。私の目の悪さは複雑だからそれをも解消して貰えるか心配だった。が、300元の値段にも惹かれて買った。今の私の眼鏡の十分の一以下である。名も知らぬ街も多い。またすぐ忘れてしまう。だがこの丹陽も、学生の顔と共に眼鏡を買った街として忘れることはなかろう。

<厦门・苏州・丹阳>
  虽说会见三年都没有见过面的人是我的旅行,年轻人在这三年内,交往上女朋友男朋友,结了婚的人也有。作为老年人,年轻人的变化令人眼花缭乱,前途无量。
  在苏州一起找到了能看日本电视录像的DVD机。也许我不懂,没有找到在电脑能看画面的机器。

  丹阳市是现在在教学生的故乡,苏州的人说在这买眼镜好。我的眼睛不好而且比较复杂,担心是否能找到合适的。但,只花300元就买到了,是我现在用的眼睛的十分之一以下。不知名的街道很多,马上就忘记了。但丹阳及和我一起买眼镜的学生的脸及街道,是不会忘记的。

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