日本と中国の友好を願って活動する日本中国友好協会玄界灘(宗像・北粕屋)支部

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<連載>日中友好協会新聞・雑誌の部分紹介
<2011年1月25日号>

2214号『全国版』 

*広州アジア大会 初の“囲碁大局” 蘇耀国大会副審判長に聞く「勢力図のまま、韓国.中国強し・日本は、囲碁愛好者が高齢化・囲碁がスポーツになり、世界規模の発展へ」。
*「アジア大会囲碁戦の成績」。「団体戦男子 日本は“銅メダル”など」。
*私と中国『中国研究者 神奈川県連理事 菅野正則さん』「“三国志”の史実に迫る」。
*『中国漢方豆知識③』「漢方発展の方向」(陶恵寧)。
*胡錦濤主席 新春メッセージ『各国人民と共に平和.繁栄目指す』「今年予定されている重要記念日。行事 1、」
*随想『何で?』(会沢芽美)。
*南船北馬「東京の歴史に興味持って。」(お)。
*内閣府発表「厳しい世論調査データ」『中国に親しみ感じない 77%』。
*「中国レーダー」『違いを認める重要性 隣国と付き合う思想と技術』{今こそ平和五原則。脅威論や警戒論者.今年は柳条湖事件30周年}(丸山重威)。
*東京都連が“文化講座”『日中文化交流の深さを実感』「鎌倉の中の中国を訪ねて」(荒)。
*「中華綺聞怪談」③『王六郎(一)』(荘魯迅)。
*全国各地から『東西南北』「真剣な理事会討議 最近の日中関係など議題に」(兵庫県連第回理事会)「活発な支部活動 」
*仲間づくり推進コーナー『地域の特徴つかみ組織づくりを』(宮城県連青葉支部が誕生)。
*『福井県で漫画展を開いて』(栗田栄)。
*中国的生活NOW!『スズメが目立つ上海の公園』(福永平和)。
*漢語の散歩道『対不起 (ドイブチー』』(筧文生)。
*本の紹介『2人のドンキホーテと仲間たち 中国ホルチン砂漠化に挑む日本人』。『嗚呼第十三次満州興安東京和』。『中国ネット最前線 “情報統制”と“民主化”』。
*中国映画の明星(スター)物語「濮存③」『りりしい演技派スター』「男の哀しさを....」(石子順)。

現物は以下の場所にご連絡下さい。
『玄界灘支部ニュース=ニーハオ玄海』福岡県福津市宮司4-12-17(TEL 0940-52-1246)
『福岡県連版』福岡市中央区渡辺通2-8-23(TEL 092-761-0604)
『全国版』東京都千代田区西神田2-4-1東方学会ビル3階(TEL 03-3234-4700)



> 石津宏介のHP(ホームページ)は、「石津宏介」で検索するか、
> http://www.geocities.jp/fkpwr261/index.htm で見られるはずです。
> 駄目な時はj「あるがままに前進」か「arugamama3」で検索するか、
> http://blog.goo.ne.jp/fkpwr261_521/ (261の後は[ _ ]半角の下バー)
> で、HPとほぼ同じ内容を見ることができます。
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『日中友好新聞 全国版』2011年1月5日号1面紹介

中国文化通じ平和・友好の増進へ
目が離せない變面の早業 魯大鳴さん(京劇俳優)


日本に在住し活躍している中国の文化・芸術関係者は少なくありません。その中でも魯大鳴(ルー・ダーミン)さんは、引く手あまたの売れっ子です。魯さんは、京劇俳優。日中友好協会でお馴染みの「北京風雷京劇団」の出身でもあります。得意種目の一つは、中国映画「變臉(へんめん)―この櫂に手をそえて」で朱旭さんが
演じて評判になった「變面」。魯さんの活躍を追ってみました。

魯大鳴さんプロフィール 1958年北京市に生まれる。北京市戯曲専門学校卒。北京風雷京劇団入団。1987年来日、舞台、テレビ、映画など多数出演。2009年4月からNHK教育「テレビで中国語」で、飯団(おにぎりパンダ)のナレーションを勤め、2010年5月同番組で「老北京」役を担当。現在、日中友好協会東京都連「中国語
会話」講師。妻、息子と東京に在住。実演をかねた「京劇講座」要請があればどこへでも出向く。 問い合わせは日本中国友好協会へ。℡03-3234-4700 FAX03-3234-4703
高度な技術求められる「變面」
話は、お得意芸の「變面」から始まります。「變面は、中国のお正月特別番組テレビや映画でも見ましたが、舞台での變面を見て、初めて自分と結び付きました。役者である自分もこの技ができたらどんなにうれしいか」
 以来北京に戻るたびに必ず見るようにしました。「變面」は、10数分の演技で「瞬時に顔を変える」という早業の連続です。魯さんは「10面」くらいを習得しています。
 「變面」は、もともと四川省川劇の技です。最近では京劇でも使うようになりました。川劇の「變面」は非常に技術が高く、テクニックも見事です。
 昔は、「伝男不伝女、伝内不伝外」といわれました。女はいずれ嫁になり家から出て行く、家から出て行く者に「變面の秘伝は教えられない」という意味です。
「玄宗皇帝・諸葛孔明」など好演
 京劇との出合いは、1972年、魯さんが14歳の時でした。何度にもわたるオーデションを経て、北京市戯曲専門学校京劇科に入りました。
 最も重視されたのは歌。そして演技力、先生の動き通りのいくつかのポーズの真似をさせられました。顔立ち、スタイルもチェックされました。卒業後、北京風雷京劇団に入団し、11年間出演しました。
来日の契機も「京劇」
            「三岔口(さんちゃこう)」の任党恵


 1987年に来日、宝塚歌舞団「月夜の歌声」で京劇(覇王別姫)などを指導。青山円形劇場、石川県立能楽堂では「能と京劇による楊貴妃」で玄宗皇帝を、国立劇場「胡弓」では三国志の諸葛孔明を演じました。
 日本に来るきっかけも京劇でした。中国での劇団時代、長安劇場に多くの日本人観光客が見学に来て楽屋を訪れました。日本人は、メークを見ても、衣装を見ても、何を見ても不思議そうな顔をするばかり。この好奇心と熱気を見て、「いつか日本で、日本語で京劇を伝えよう」と決心しました。
 いま明治大学法学部講師として、「アジア文化と中国語会話」で教鞭をとっています。テーマはもちろん京劇。京劇は、ズバリ言えば「美」と「漂亮」、つまり「内面」と「外面」の美しさです。メーク、衣装、立ち回りのすべてに「美しさ」が求められます。まさに「愛美之心、人人有之」なのです。学生たちは、京劇の表面だ
けでなく、内容、人間性などの知識、知恵についても良く学び、「実に熱心だ」といいます。「日本の将来を担う若者たちに、異文化を伝える責任と喜びを強く感じている」と、力を込めて語ります。
 日本での京劇の紹介、普及にも努力しています。『京劇入門』(2000年・音楽の友社)、『京劇への招待』(2002年・小学館)を出版しました。

文化交流は相互理解を促進

 ギクシャクした日中関係が続いています。魯さんは「何があっても、お互い冷静に対応し、話し合って解決してほしいですね。中国文化は、長い歴史を通じて日本に伝わってきました。文化交流は、平和と話し合いの環境をつくりだす大切な仕事だと思います」と、しっかり締めくくってくれました。
 (大田宣也・平澤ちぐさ)


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三題ばなし(再び中国から)その34  110116
来自中国的三个话题

  正月料理

正月三が日、今年も雑煮を何度か作った。4組14人が、黒豆、キントン、煮昆布と共に、父の故郷福津市津丸の伝統=蒸し雑煮を食べたことになる。私の日常の食生活に時間のかかるものは殆どない。そんな私だがおせち料理だけはささやかでも作りたくなる。

中国にいる間、正月は日本に帰っていない。何もしない中国の正月だから自分で祝いたくなる。おせち料理の真似事をするのもそのためだ。餅も搗いた。餅米を蒸かしたのと、餅米粉を蒸かした二種類である。そしておしるこも作る。日本人にもいるが、中国人学生で小豆しるこの甘さの違いを好まない者は少なくない。味覚の共有は難しい面がある。
後日、訪れていた学生と共に先輩の櫻田さんの作る雑煮をいただいた。よく味の染みこんだ雑煮だった。昨年の泰州での正月に続く今年の上海正月は一層彩豊かなものになった。


    <新年料理>(翻译 孙佳妮)

今年也做了几次年糕汤料理,是在新年的头三天,分别为分成四组的14位同学做的,和豆,甜白薯泥,煮海带这些料理的的同时,我还做了我的父亲的家乡—福津市津丸的传统料理--蒸鸡蛋年糕汤,在我的日常'
278;食生活中那些要花长时间的去做的料理几乎没有,但这样的我,唯独过年时的料理即使是有点麻烦,但还是会想做。

在中国的这些年,正月都没有回去日本。正是在这正月里什么庆祝仪式都没有的中国,所以自己更想为正月庆祝。模仿着做新年时的料理也出于这个原因。我打了年糕,有将糯米蒸熟后打制的和将糯米粉蒸熟的两种。然后还做了小豆年糕
;汤, 虽然日本人中也有,但中国的留学生中对小豆汤的甜的不一样的味道不喜欢的人不少,在味觉感官上要达到一致还是有些困难在里面的,
之后,和前来拜访我的学生一起品尝了我的先辈樱田老师做的年糕汤,那是相当入味的年糕汤。既去年在泰州度过的新年之后,今年又在上海度过了一个更加的多姿多彩的丰富的新年。


     <「アングラ」映画館>

櫻田さんに連れられ上外大卒生案内の「映画館」で鑑賞した。過去の映画を消し去ることのないよう努める人の企画だった。1950、60年代の中国の一面が理解できた。文革による「下放」を全否定せず、青春時代として生きた事実を共感できる人と共有しようと言う。「老三届」と呼び合う1966~68年の三年間に下放された人達の存在も間近に学ぶことになった。

そこに中国語はぺらぺら、日本語も少し出来るアメリカ人がこれら映画の価値を語った。私等の同世代で中国に関心を抱いていた人によく知られる「大寨」紹介だった。当時のままで宣伝臭も濃いが、最近訪れた人の言やNHK放映では今でも大寨は集団化農業を継続している由。急に私はこの大寨に行きたくなった。希望者が集まれば訪問旅の企画も可とか。
思いもかけない人や活動との出会いは、次の楽しみに繋がっていく。櫻田さんに感謝。

<“地下”电影院>(翻译 刘秀凤)

樱田带我去由上外大毕业生介绍的电影院看电影。是那些努力别让过去电影流失的人们企划的。能从中理解1950、60年代中国的一部分,没有全盘否认文革的“下放”,说是让我们共享一起度过青春时
代的事实,间接学到了1966~68年三年里下放被称为“老三界”的人们的存在。


在那里中文很流利,日语也能说一点的美国人说了这些电影的价值。也介绍了和我同年代对中国感兴趣的人们都知道的《大寨》,虽然和当时一样宣传浓厚,根据最近去看过的人所说的和NHK的播放,现在的大寨也持
续实行集团化农业生产。突然我很想去看看,如果能找到合适的人的话,就可以去访问旅行了,
下次的期待是能遇到意想不到的人或事,感谢樱田。



     孫ら迎え

 私の一番上の孫もどきは、今年高校三年生になる。進路がどうなるか気に病むことだ。
我が娘の長男は4月から中学生。彼は私に小さな輪を送って来ていた。願い事が実ると切れると言うらしい。私はその輪をつける時に上海で孫に会うことを願ったが、この子が上海に来る前に切れてしまった。逆に考えれば今年中に会えるようになるのかも知れない。
 息子の長女長男とは、既にこの上外大の我が部屋で会っている。次の願いは暫しこの上海の空の下、生活を共にすることである。実現の容易くない夢だが、見続けていたい。
世界のグローバル化の中で、次世代の子どもは日本人でありつつ国際人であることを期待されている。幼い頃から外国人と自由に交流する体験が活きるかも知れない。日本から一番近い上海を行き来する孫ら少年少女を援助し励ます役割を果たしたいと思う。



<迎接孙子一行人>(翻译 徐旎)
我的晚辈的孩子中,年龄最大的小孩,对我来说就像孙子一样,今年升入高三,我很担心他的升学问题。

我女儿的长男今年4月就上中学了。他以前送给我一个小小的脚链,据说这个脚链在愿望实现时就会断掉。我带上这个脚链时许愿能在上海与孙子见面,但是在他来上海之前这根脚链就断了。从另一个角度上来
看,说不定我们能在今年内见面。
儿子的长男长女,已经在这个上海外国语大学的我的房间里见过了。下一个愿望是虽然很短暂但是希望能一起在这上海的天空下共同生活。这是一个实现起来并不容易的梦想,但我还是希望它能成真。

在这个全球化的时代,下一代的孩子们被期待着既是日本人又是国际人。也许他们从小和外国人自由交流的体验能对他们的将来有所帮助。上海离日本最近,我希望能完成支持并鼓励来上海的孙子孙女这些少男少女们的使命。




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110111紙誌紹介

<連載>日中友好協会新聞・雑誌の部分紹介
<2011年1月5日号>

80号『ニーハオ玄海』

*「今こそ日中友好協会の出番です」(支部長 西村尚志)。
*「初春 王績」。
*「中国人の友のため中国語を学ぶ」(菊川泰次)。
*新年のごあいさつ
*「創立3周年・陽春の華南を旅しましょう。」(中国旅行担当 野中正吉)。
*「新年を迎えて」(財政部長 大薄利信)。
*「もうにとまわり大きな支部に」(事務局長 岩佐英樹)。
*「中国との友好は必要不可欠」(副支部長兼組織部長)。
*新聞紹介「中国躍進 井村マジック 基礎演技、再び指導」(朝日新聞)。
*「2011年1月計画表」。
*お礼「2011年日中友好カレンダー」90本普及、ご協力に感謝。

2212号『全国版』 

2011年新春インタビュー 魯大鳴さん          魯大鳴さん
(京劇俳優)
中国文化通じ平和・友好の増進へ
目が離せない變面の早業
高度な技術求められる「變面」
「玄宗皇帝・諸葛孔明」など好演  
来日の契機も「京劇」
文化交流は相互理解を促進


*京劇の誕生と歴史
*「新年をことほぐ花たち」『仏手柑』(浦辺苳子)。
*「中国漢方豆知識①」(陶恵寧)。
*南船北馬「辛卯 せめて今年の卯年にちなんで兎の飛躍を日中友好にも、と祈る」(渡)。
*新春のあいさつ。
*『世界とアジアの平和、日中友好をめざして』(長尾光之)。
*『国民間の相互理解と信頼増進を』(中国国際交流協会)。
*『戦略的な互恵関係の内容を豊かにしよう』(中国日本友好協会会長宋健)。
*「卯(兎)の話」『獅子捕兎で仲間増やしを』(佐久間徹)。
*「中華綺聞怪談」①『王六郎(一)』(荘魯迅)。
*中国引き揚げ65周年記念インタビュー 『中学生の満州敗戦日記』の著者 今井和也さん に聞く
出版の動機は「731部隊」・自分の目で見て聞いて判断を
*新春支部訪問『多彩な取り組みめざし』福岡県連や旗支部「漫画展・中国人船員の見舞い、中国帰国者支援・中国人留学生との交流、仲間づくり 会員100人の実現へ」(東野)。
*『中国明星物語600回』祝賀会「石子夫妻を迎えて」。
*まんが『新・張爺、お話して!』(池田朱美)。
*全国各地から『東西南北』
*関西ブロック60周年記念レセプション『内モンゴル民謡などで盛り上がる』。
*中国レーダー『第12次5ヵ年計画(2011~15年)』「経済発展方式の転換が基本・経済方式転換のカギ・多難な現実・既に中進国の水準に」(井手啓二)。
*小学4年生の林君が優勝!「さいたまで日中友好親善囲碁会」。
*新春文芸『どんぶり』仙洞田英子。
*中国的生活『安くて美味しい上海グルメ』(福永平和)。
*中華一番『芝麻湯圓』「家族そろって正月料理に」(坂本廣子)。
*写真で見る中国の旅『1月“北普陀山”(遼寧省錦州市)』(国友和喜子)。
*漢語の散歩道『紙質書』(林香奈)。
*「漢字詰めクロスワード」(関健)。
*中国映画の明星(スター)物語「濮存①」『りりしい演技派スター』残留孤児映画 謝晋監督『乳泉村の子』「中国の養母に育てられ日本の実母に再会できた残留孤児の思いを表現」(石子順)。

現物は以下の場所にご連絡下さい。
『玄界灘支部ニュース=ニーハオ玄海』福岡県福津市宮司4-12-17(TEL 0940-52-1246)
『福岡県連版』福岡市中央区渡辺通2-8-23(TEL 092-761-0604)
『全国版』東京都千代田区西神田2-4-1東方学会ビル3階(TEL 03-3234-4700)



110105『季刊中国』紹介

『季刊中国103号 2010冬季号』

           季刊中国103


*巻頭言 古田元夫
「ベトナムでの千年祭時、革命博物館訪問。「敵」をつくらない現実主義的全方位外交への転換との文脈で」。
<紹介者石津の一言=名指しが消えると言うのは信じ難いけど、政治的判断の複雑さ重さを感じた>

―日本中国友好協会創立60周年記念―
*記念講演 「日中関係と日中友好運動の60年と未来」 伊藤敬一
はじめに
戦後民主主義は日中友好運動の原点
新中国建国と朝鮮戦争、激変したアメリカの対日政策
結成主旨第一項の重要性
協会結成大会活動方針の「友好運動の原則」
日中友好運動の未来にわたる展望
アジア諸国との協力関係を強化して日本の未来を切り開こう
<紹介者石津の一言=遠く近く友好運動の正道は続く。
独りよがりを戒めつつ誠実に生きていくことの大事さを学ぶ>

*シンポジウム「日中関係の未来を展望する」


【第1部】「歴史の自省から新たな日中関係を模索する」
課題は、
1 若い世代の歴史意識を変えていく具体的な方策
2 「愛国心」をめぐる問題提起について
「愛国心との向き合い方をもう一度考えてみる必要はないだろうか」(コーディネーター 水羽信男)

「日中戦争の研究から」石島紀之
困難な歴史和解を一歩でも前に進めるための市民レベルでの取り組みについて。
  教育や映像などを通じて戦争に関する記憶は、固定化され、単純化され、政治化されかねない。
  日中間の対立が深まれば、ラディカルで排外的なナショナリズムを生み出す土壌となりえる。
  ナショナルヒストリーを超える日中戦争史が発展し、歴史認識の面から歴史和解に寄与する。
  戦争保障裁判で,信頼関係構築でno
成果。
  現在の日本では、政治の側に歴史問題の克服、歴史和解のとりくみの期待は困難。
  市民レベルでの対話と学びを積み重ねるなかで,双方の歴史認識を変化させていくことが重要。
若い研究者の歴史問題克服の仕事に期待。

「日本近代史研究から」山田朗
  はじめに
  近代日本と中国の関り
  戦争の記憶の継承
   中国、北朝鮮、韓国では、戦争や植民地支配が自分の、自分の家族問題として語られてきた。
   日本では逆に語られることが稀でしかなかった。
   若い人の歴史認識のギャップを埋めるための公教育における歴史教育を豊富なものにしていくのが課題。

「日中歴史認識問題の研究から」――日中友好と近代日中関係史像 劉傑
2006年発足の日中歴史共同研究の発表
 最大の限界は、学者中心に行われたが、「外交」=政治外交関係の改善・対立の緩和を目標とする延長線上にある。
 一国史、ナショナルヒストリーの枠を超越できず。
 自国中心の歴史観がクローズアップされがち。
 違う歴史認識を持つ研究者同士の交流と共同研究に期待。
「歴史とは現在と過去との対話である(E.H.カー)」として、どの過去と対話しているか。
  日本は1945年以降と対話。中国は1911年以降と対話。
  尖閣諸島問題でも、両国の対話の形式が異なることから生じているのではないか。
 東アジアの三国はそれぞれに、歴史和解の問題を国内問題として抱えている。
 政治主導の共同研究と並行して民間ベースの研究の拡大も必要。
 日中の若い人の歴史知識の格差克服の努力も必要。
第一部相互討論「日中関係の未来を展望する」


【第2部】「現状を分析し未来を展望する」
「日中友好を正面に据えれば、異なる主張の応酬も、必ず有益な対話を構成していく」(コーディネーター 宇野木洋)

「中国経済の現状から」大西広
  はじめに
地域格差は見かけと違って縮んでいる
  中国のジニ係数
  中国における貧困人口の縮小
砂漠の減少
  新しい問題が教える「古い価値」
  「北京コンセンサス」=中国的価値は学ばれてしかるべき

「EUの現状から東アジア共同体を展望する」羽場久美子
  対立が高まり、深まっている時こそ和解の時期ではないか。
  東アジア共同体と日中和解をあわせて、拡大EUの状況から考えたい。
  いま、独仏和解100万人若者交流計画にちなんで、
日中韓100万人若者交流計画が試みられようとしている。
  制度化は後でいい、ソフトパワーの協力から始めればいい。
  日中友好協会の役割はきわめて重要。

「日中関係の現状から未来を展望する」―「新日中関係は?」毛里和子
  はじめにー「尖閣」と「ノーベル平和賞」
  中国のナンバーワンぶり
  日中関係
  日中間の四つの段階
日中間のイシュー
  今後の日中関係
  中国外交の特質
新日中関係は
  日中には制度や枠組みが必要
  東アジアの多国間の協力を制度の一つとして進める
  ヨーロッパとは逆のプロセス
  地域的枠組みは入り口
  日中の和解は出口
  ネオ・ウエストファリア体制として非対称的な諸国が協力体を作り上げることで可能
<紹介者一言=討論も含めての内容についてコーディネーターの言にもあるが、意見の相違がかなりある。こんなにあっていいのかとも思わぬ訳ではない。
しかし、違憲の違いを含めたシンポジュームが開かれた意義は大きい。>
   
*ノーベル平和賞受賞者・
  劉暁波の思想に関する一考察 宇野木洋
  はじめに
文革後10年の文学的営為に対する全面否定
「全面欧米化論」と中国知識人批判
「64.天安門事件」前後における劉暁波の思想と行動
おわりに

*新歳時記 冬の巻 廻る季節を生きる人々の世界 辻雄二
*中国文学あれこれ 92 中国の「千年の不孤独」
  ―劉震雲『一句頂一万句』を読む 塩旗伸一郎
   「出廷津記」前半―置き去りの「前言」
「出廷津記」後半
三人の「回廷津記」
「そのひと言」をさがす旅
「千年の孤独」か「孤独の欠かん」か
タイトルについて
実在する地名の意味

*中国内外大事記 2010年7月~9月
*読者の声・編集後記
*表紙の写真 西塘(撮影:伊那谷峯雄)




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三題ばなし(再び中国から)その33  110101
   来自中国的三个话题

<クリスマスイブに>

中国でも、繁華街にはジングルベルが鳴り響く。私にとってのクリスマスは、我が子が幼かった頃、親としてサンタの真似事をするのに心躍らせていたとの思い出としてある。

大学が外国人教員を招待した。キリスト教を信じる人たちのお相伴の形で日本人も招かれるのだ。大学所有ホテルの食堂のバイキング料理。腹一杯食べた。お陰で体重は49kg確保。部屋には暦と花が届いた。先輩の櫻田さんは、30年も続く外国人教員に対する大学の配慮だと言う。他にスーパーの商品券カードも貰った。記念にNHK
録画DVDを見るためのデッキを買いに行こう....。
と不意に思い出した。ハルビン師範大学での祝メーデー臨時収入450元での顔の悪性脂肪摘出手術。更には臨時収入でないが、漳州師大時の竹椅子、蘇州大時の入れ歯、泰州牧院時のピアスや眼鏡。今も珍重している各地の奇妙な思い出。


<圣诞前夜>(翻译 刘秀凤)
在中国繁华的街道也鸣奏圣诞曲铃儿响叮当。我的圣诞节,让我想起了在我孩子还很小的时候扮演圣诞老人印象非常深刻的事情。


大学邀请了外籍教师,邀请基督教徒的形式也邀请了日本人,在大学所属的宾馆里吃自助餐,吃得很饱。多亏这些体重确保49公斤,学校还送挂历和花到我房间来,前辈樱田先生说这是大学对外籍教师的待遇
持续了30年。此外还送了超市的商品卷。无意中想起了作为纪念我准备拿它去买能看NHK刻录的DVD机....


突然奇妙地想起了在哈尔滨师范大学庆祝五一的临时收入450元拿去摘除脸上的恶性脂肪手术,还有虽不算临时收入,在漳州师范大学时的竹椅,苏州大时的镶牙,泰州牧院时的耳环和眼镜
,至今还怀念各地美好的回忆。


     <研究会>

私は、「精読」と「作文」の担当者会で、それぞれ問題提起をさせて貰った。学生の主体的力量をつける一方策としてだが、「作文」の書き方を重視する。「構想」することの不得手な学生が余りにも多い。それで多くの授業時間を使う「精読」との関係を密にしての現状打開を提案する。精読教材の段落毎の「10字程度要約」や
「副題つけ」を学生に課したいと。
構想の必要性は卒論の時だけでない。日本語の箇条書きによる「構想」習熟は、より高度な日本語修得にも不可欠。更に作文を書いたら、段落毎に構想の箇条書きに似た「要約=中見出し」を記し、並べて自作文章の客観化を図る。この作業で諸々の向上につなげたいのだ。
授業方法は多様である。一律の合意は望まない。が、学内で『日本語研究会』を常態化しているこの大学での様々な意見交換に続く各人の努めに、私は大いなる期待をかける。


“研究会”(翻译 许旻)

我在负责精读和作文的教师讨论会上,提出了若干个问题。重视作文的写作方法是强学生主体力量的一种手段。因为不擅长构思的学生不在少数,所以我提议打破现有状况,提出将投入大量教学时间的精读&
#35838;与指导写作构思紧密联系起来地方法,让学生对精读课本上的每个段落做大约10字的总结或者是添加副标题。

构思的重要性不仅限于毕业论文的写作。熟练运用日语逐条罗列构思对于更高程度上的日语学习来说也是必不可少的。尤其是写作文时,记下类似于每段的构思条目的梗概,也就是内容标题,将
其列举开来设法让自己的文章更加客观。通过这项工作以便让各方面都得到提高。
希望各位的授课方法多种多样,不要一概相同。但是,我希望在这个大学内部经常举行的日语研究会,各位不断交换意见并作出努力。




     <元旦前後>

瞬く間と言うのは大袈裟だが、早くも迎える新しい年。憧れだった上海生活にも馴染んできた。何よりインタネットを自分の部屋で行っている。下駄履きの自転車姿も街中に溶け込めた。上海の四年制.三年制の学生それぞれとの結びつきも予測通り出来た感じだ。
中国では、元旦こそ祝日だが「春節」と違い「正月」は何もないに等しい。でも一人の中国人日本語教員は大晦日の夕食に私たちを招待した。細やかな配慮に私は感激する。

家に戻ってからNHKbs2で『紅白歌合戦』の後半部を見、年越し蕎麦も食べる。翌元旦のは、ささやかなおせち料理。我が父の故郷、福津市津丸の伝統雑煮は「蒸し雑煮」。だからそれが私にとっての雑煮だ。私は学生ら客人と共に手作り黒豆やきんとん等をも嗜む。そして子.孫.甥姪や知人らの日本の正月を想像しつつ、期末試験を準備し作文添削に励む。 




    <元旦前后> (翻译 陈舒蕾)

说新年眨眼将至这确实有些夸张,但新年的的确确不远了。对于憧憬已久的上海生活,我已开始适应——特别是从我的房间有了网路以来。穿着木屐骑着自行车,我的身影就这样融入进了街
道之中。如同当初预想的一样,我和上海的大学生、大专生都建立起了联系。
在中国,元旦虽说也是个节日,但与春节相比就算不上什么了。幸而,有一个教日语的中国老师邀请我们一同享用这一年中的最后一顿晚餐。我很感谢他想得如此周到。

晚餐过后回到家,收看了NHKbs2的“红白歌会”后半段的节目,接着吃了荞麦面。而第二天也就是元旦的时候,则会简单地吃些年节菜(日本新年时所做的菜肴)。其中年糕汤是年节菜的一种。)于我而言真正的年糕汤
1017;是来自父亲的故乡福津市津丸的传统年糕汤---蒸年糕汤。此外也会和来家里做客的客人们一起尝尝亲手做的豆(表皮为色的大豆,用糖和酱油等一起煮即成日本煮豆)、金团(在糖煮栗子、豆类中拌陷的一种日本
甜食)什么的。另外,也会想想在日本的孩子、孙子、甥侄和友人,便又投入期末考试的准备和批改作文之中了。


石津宏介のHP(ホームページ)は、「石津宏介」で検索するか、
http://www.geocities.jp/fkpwr261/index.htm で見られるはずです。
駄目な時はj「あるがままに前進」か「arugamama3」で検索するか、
http://blog.goo.ne.jp/fkpwr261_521/ (261の後は[ _ ]半角の下バー)
で、HPとほぼ同じ内容を見ることができます。

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