日本と中国の友好を願って活動する日本中国友好協会玄界灘(宗像・北粕屋)支部

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   相島歴史探訪(2011/10/23)

現代の日本と韓国の関係に思いを馳せて 
                      匿名さん

「相島歴史探訪」、本当に久しぶりに楽しい時を過ごさせてもらいました。
日常の生活では全く感じることのない古の日本と朝鮮との関わりを聞くこと
が出来、今の日本と韓国との関係などに思いを馳せました。
お弁当もとても美味しく頂きました。企画して下さり有難うございました。


相島の歴史に感動 

                     Nさん 福津市在住

いつも、宮司の浜から見ている“くじら”の形をした相島。
一度は裏側を見てみたいと思っていました。
今回、お誘いを受け、参加させて貰いました。
これほど歴史深い島だったとは驚きでした。


歴史ある島を理解できた
                     Nさん 古賀市・男性 

相島は2度目でしたが、今回は専門のガイドさんが付いて歴史的なことが
よく分かりました。有難うございました。


丁寧な説明に感謝 
                     Kさん

相島の歴史を知る事ができ、大変勉強になりました。案内の方には丁寧に
教えて頂きよかったと思います。


足下にある歴史遺産 
                     Nさん 古賀市・女性

とても楽しい1日でした。講師のご案内で本当によく分かりました。
足下のことを知らなくてはと思いました。

説明される堀田さん



身体ゆれてスリル満点
                     Yさん

朝から天気の方が気がかりでしたが、出発するときは青空がのぞいていました。
相島ははじめてで、わくわくしました。身体がゆれてスリル満点でした。
歩く時間が長く足が痛くなりましたが、楽しい時間でした。


すがすがしい1日
                     Kさんご夫婦
 
すがすがしい1日を過ごすことができました。楽しい思い出有難うございました。


また来たい!初めての相島
                     西村尚志

堀田先生の丁寧で分かりやすい解説に尽きます。
朝鮮通信使……何も知らなかったなあ。初めて訪れた相島でしたが、
また来させていただいたらと思います。


通信使の島を訪れて
                     岩佐英樹

専門家に案内されると本当に「得するなあ」と思いました。
漁村の狭い路地裏にある、通りすぎるような井戸にも通信使の歴史があるとは。
積み石塚の壮観さにも圧倒されました。まさに歴史遺産の島ですね。
私たちを楽しませてくれた多くの猫ちゃんたちにも感謝したい。

狭い路地も案内者のおかげで    歴史的な井戸の上にもネコ

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 会員、準会員、ご支援の皆様へ

          日中友好協会玄界灘支部
                支部長  西村尚志

日中友好協会カレンダー「悠久の中国の旅」の普及・販売へのご協力のお願い

いつも、ご支援有難うございます。今年も、残すところ2ヶ月余となりました。
さて、2012年度の日中友好協会発行のカレンダー「中国悠久の旅」ができあがりました。
毎年のお願いで誠に恐縮ですが、カレンダー普及販売が、本部や支部の財政の重要な支えとなっています。ぜひご援助下さいますよう心よりお願い申しあげます。また、今年は東日本大震災の義援金も兼ねています。ご家庭用に、お子様、ご親戚、友人、知人の方へのお歳暮などに、ご購入賜りますようよろしくお願い申しあげます。

             
 
いしづさんの中国報告から 

<漢方の煎じ薬>

親知らずが生え、胃も悪くなったという学生がいた。
胃の煎じ薬を一週間毎日何百ccも飲むのだと言う。
「良薬は口に苦い」から余計に大変。
友達である「漢方医」は、胃と歯の部分が「経絡」で繋がっているから、
関連して痛みが襲って来るのだと指摘する。

少し前、私が突然の腰痛に襲われた時、「漢方医」は取り敢えずの処置として
西洋の痛み止め薬を買った。
一端痛みは無くなった。幸いその時の私の当面のストレスも解消したため、
痛みもきれいに消えた。
だからこの件で漢方薬効果を確かめるまでには至らなかった。

 水虫に対する漢方での治療方法の有無を「漢方医」に尋ねた。
諦めているのだし、少々億劫だが、余り期待しないで漢方学の世話になる
ことにした。結果が出るのは随分と先だろう。でもこの中国にいるからこそ
試みたくなるこの種の努めもまた興味津々である。


<中医药方-汤药>

有些学生,在父母不知情的情况下生下他们时,胃就已经出了些毛病. 听说每天要服
用治疗胃病的汤药几百升,还得连服一周.「良药苦口」,还真是苦药!
有从事中医行当的朋友也曾说过:”胃和牙齿因神经相连,痛感来袭时,也是相互关联的.”

就在前不久,我突发腰痛, 暂且按中医药学的治疗处方 ,买了西药止痛剂,后来还真就不疼了.且庆幸的是,这也即时消除了我当时所面临的压力,痛感也彻底根治了.
通过这个经历,我决定不弄清楚中医的药效不罢休.

有没有脚气的中医处方 ?我在<中医药学>上查找了一下. 最后还是放弃了,也确实是挺麻烦,反正不期待靠中医帮到我什么.或许中药处方不是那么轻易就能掌握了解的.
但就因为是在中国,所以还是兴致勃勃地抱着尝试的态度研究这个题材.

アジア初の共和国・中華民国の誕生と孫文

今年2011年10月10日は、清王朝打倒の狼煙を上げた「辛亥革命100周年
(1911年は干支の辛亥の年にあたる)でした。
翌1912年1月1日、孫文(号は中山)は中華民国の成立を宣言し、臨時大総統に就任
し、アジアで初めての共和国、中華民国が誕生しました。(実際は在任3ヶ月間)。

2月12日、わずか3才の愛新覚羅・溥儀は皇帝を退位し中国では永久に君主支配制度
はなくなりました。この日は中国では「双十節」と親しまれており、今年も各地で
祝典が開かれました。
福岡でも福岡市立博物館や各大衆団体や学術団体で展示や研究発表が行われ、
行事は今年いっぱい続きそうです。

この孫文 の思想で有名なのが民族主義(満州族の清王朝打倒)、民権主義
(国民の様々な権利を保証する)、民生主義(人民の生活の保証)からなる
三民主義とよばれるものです。

孫文はその後も紆余曲折した政治活動の末、人生最晩年の1924年1月、
中国国民党と中国共産党の合作=国共合作を主導し、三民主義も反帝国主義・
反封建主義(欧米や日本の侵略、それらと結ぶ軍閥勢力を打倒し、統一した
中国をつくる)を明確にし(「新三民主義」と言われる)、中国の進むべき
進路を指し示しました(孫文自身は1925年3月死去)。

この国共合作は1927年の蒋介石の上海クーデターで破壊されますが、
1930年代の日本の侵略に直面し、中国国民や各界の強い要求で復活し、
抗日戦争勝利に大きな影響を及ぼしました。

日本でもよく知られている「宋家の三姉妹」の宋慶齢は孫文の妻です。
後に中華人民共和国の国家副主席・名誉国家主席になりました。
川辺さんからの投稿です 

福岡日中文化センター創立30周年の集い(11/20)12:30~ 早良市民センター」
で中国語劇が発表されます。演題は『愚公 山を移す』です。
この故事来歴は電子辞書及びインターネット検索によると次の通りでした。

出典は「列子」の湯門編: 太行山と王屋山という二つの山に面した所に住んでいた
愚公という老人は90才近くでしたが或る日 決心して家族に相談しました。
「山が邪魔で街に出ようとしても遠回りをせにゃならん。
山を崩して平らにしようと思うのだがどうだろう?」

妻以外は全員賛成したので愚公は息子や孫を引き連れて山の切り崩しだしを
始めました。又土と砕石を渤海の隅にもっこで運び出しました。
 黄河の近くに住んでいたチソウという老人がこの様子を見て笑い忠告しました。
「あんたの馬鹿さ加減と来たら話にならんよ。力が弱くてしかも老い先短いのに
山の一角でさえ崩せないさ。」愚公は答えました。
「あんたの頭の固さと来たら手のつけようが無いな。わしが死んでも子供は
生き残り孫を生みその孫は又子供を生み子々孫々途絶える事は無いんだ。
一方山は増えるわけじゃ無い。だとすれば何時かは平らに成る時が来るだろうよ。」
 賢者と云われたチソウ老人も返す言葉が有りませんでした。この様子を見て
恐れ戦いた二つの山の神は天帝に報告。
天帝は愚公の真心に痛く感心し二つの山を別の場所に移してやったそうです。

 たゆまなく努力を続ければ何時かは大きな事業でも成し遂げ得るという寓話でした。
 この故事は1945年の6月に毛沢東の演説に引用され中国では大変有名になったそうです。
引用では二つの山を日本と中国国民党政権に 愚公を中国共産党に例えて
「どんなに敵が強力に見えても我々が山を切り崩す様に努力を続ければ
天帝即ち中国人民は我々を支持してくれるのだ。」と訴えました。
類義語に「雨垂れ石をも穿つ」がありますがこれも中国の故事来歴(「漢書」の枚乗伝)です。

 尚卑近な例が福津市にもあります。
 私は津屋崎の環境部会に属していますがボランティア活動の一環として
津屋崎海水浴場の松林を昔のように美しい姿に戻そうと30人ほどの仲間
(4年前のスタート時はほんの数人でした。)と月一回のペースで整備保全活動を
行っています。しかし範囲が広い為遅々として中々進みません。
5年目にも成るのに未だ全体の1割も終わってないjのを見てある人が云いました。
「おい、この調子だと我々生きている間には終わらんぞ。」
 違うある人が冗談っぽく云いました。「子供 いや孫の代には終わるやろう。気にする事は無いよ。」


川辺 愛敏 
通訳・ガイドの楊芳さん、元気な女児を出産!

3月の支部の中国・広州の旅行の時、お世話下さった通訳・ガイドの楊芳さんに、
9月14日、支部の「旅行担当」の野中正吉さんが以下のようなメールを送りました。

「楊さん、お元気でしょうか。3月の旅行では大変お世話になりました。
大変ご無沙汰しています。楊さんの出産は8月と聞いていましたが、
母子とも元気と思います。日中友好協会玄界灘支部の皆さんがあなたのことを
案じています。お身体には十分ご注意下さい。ご家族のみな様の繁栄を願っています」

楊芳さんからは9月21日、次のような返信がありました。

「野中さん、メールを頂き、本当に嬉しいです。ありがとうございます。
おかげさまで、8月11日、無事生まれました。3、3㎏の女の子です。
もともと女の子が欲しかったから家族みんなうれしさでいっぱいです。
子供の写真を1枚送ります。日中友好協会玄界灘支部の皆さんに
“ありがとうございます”とお伝え下さい。
いつかまた、皆さんにお会いできることを楽しみにしています」

中国旅行の一枚・赤ちゃんの写真が届いたら差し替えます。それまでは、みにくい顔を

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