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日本と中国の友好を願って活動する日本中国友好協会玄界灘(宗像・北粕屋)支部

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三題ばなし(再び中国から)その36  110216

来自中国的三个话题

<契機の手料理>

春節前夜(中国語では「除夕」)に学院長に招待された後も、
美味しい家庭料理を食べる機会を与えて貰った。
中国人家庭に招かれた時は餅を搗き、手土産として日本事情を伝えて来た。
一方この期間、我が家を訪れた4人には私の手料理を食べて貰った。

客の滞在が複数日になると策のない私はすき焼き等も思い付き、
手軽な電磁炉コンロも買った。日語教員16期北口会長縁の曲紅さん加藤さん
とで初めてすき焼き鍋を囲み、教え子とは料理も作り合った。
食事の中身を吟味し、日常のあり様をも少し変えて来た。

そうした謂わば手料理の過程で、息子家族の上海招聘も決った。
予測と異なる結果だが、親子三世代の共同生活を実現する見通しが出来た。
偶然の重なりがもたらす新たな縁。私は周りに感謝しつつ、
与えられた条件下での日中友好運動推進の道を選んだことになる。

料理之契机

在春节的前一天晚上(中文里面叫作“除夕”)受到院长的招待之后,又在其他老师那里陆续品尝了各种家庭美食。在招待我的中国人的家里的时侯,我也捣了一些饼,作为亲手做的土特产给了他们,也当是传达了日本在庆祝节日时的风俗。

因为客人要在我家里多停留几天,所以打算做些火锅什么的,因此没办法也只能比煤气炉好拿些的电磁炉。之后和通过在第16期日语教师培训时认识的北口会长才结识的曲红和加藤一起吃了牛肉火锅,也跟学生们一起做了些料理。在考虑料理的做法和种类时,平日生活的状态也发生了些许的变化。

在这个所谓做料理的过程中,儿子一家凭家族签证来上海的事情也定了下来。虽跟之前想的结果不太一样,但家族三代在一起生活的预想竟然成了现实。这应该是因偶然的重叠带来的新的机缘。我在感谢周边的人和事的同时,也决定选择了在已有的条件下继续推进日中友好运动的道路。

(翻译 许旻)

<井上ひさし『一週間』・ 桐野夏生『ナニカアル』>

中国に来て長編小説を久し振りに2冊も堪能した。櫻田さんが日本に帰省する時、卒論等を配慮して中国人学生に渡した本で、その学生に頼まれ一時私が預かった本である。それぞれに私の気持は動いた。この本を通し学生等との心の交流を深めたいとも考えた。

『一週間』は「レーニンの裏切り」の小見出しを持つ。親友が、彼の知人の研究者の解説内容を教えてくれた。レーニン民族論に関する世界に1篇だけある曲解文を、井上は誤認し資料にして書いたらしい。尊敬する井上の不手際と思えるだけに悔しくてならない。

『ナニカアル』は戦争中の林芙美子伝。桐野の利用した膨大な資料目録も見た。芙美子の「手記」はどれだけ存在し、どの部分が使われているのか。2編に共通する戦時中に典型の思想統制ら強権発動に虫唾が走る。同時に井上、桐野らプロ作家の筆力に只ただ感心。

<井上hisasi『一周』・桐野夏生『有什么』>

来中国后,好久没有精读过2册长篇小说了。樱田回国时,考虑到学生写毕业论文等将会用到把一本书留给中国学生,那位学生把它寄存在我这,这些都触动了我的思绪,也想通过这本书和学生们心灵有更深的交流。



《一周》是《列宁的背叛》的副标题,朋友告诉我他的作为研究者的好友的解说内容。井上误认地把世界上唯一一篇关于列宁民族论曲解的文章作为参考资料写出来,尊敬的井上也会不细心,想想就非常遗憾。



《有什么》是关于战争时的林芙美子传,也看到了桐野利用了膨大的参考资料,芙美子的《手记》有多少保存着?具体参考了哪部分呢?这两篇都是关于令人反胃的战争时代典型的思想强制下强权操纵。但同时唯一钦佩井上、桐野等作家的专业文笔。

(翻译 刘秀凤)

<「成り上り」の願い>  

初めて参加した『中国語作文コンクール』で、大勢いる3等受賞者の一人になった。私は中国語が下手だが「“下駄事情”の訴え」を直接の目的にして拙文を投稿していたのだ。

何故多くの日本人は下駄を履かなくなったのか、履けなくなったのか。この不幸な事実を表に出したかった。下駄履きを蔑み、日本文化を蔑視していた権力の思惑に組み込まれてきた事実に気づきもせず、恥をも忘れた日本人。どうして成り下がったのだろう。

各個人が履けないままでもいい。でも「校則違反」として日本文化を排除し続ける教育政策に異議を唱えるくらいの勇気、見識を持ちたいと考える。私たちは情報不足から間違った判断に陥り、修正出来ないままでいる事柄も多い。気づいたところから国のあり方、国家の品格を変えていく行動を起こしたい。望外の喜びの中で、私は改めて自らを叱咤した。


《註》受賞対象の石津の「中国語履歴」「応募作品」、の中日両語本文を下欄に掲載。


期待日本传统文化得以恢复的愿望

在初次参加的“中文作文比赛”中,我意外地成为众多三等奖获得者的一员。尽管我的中文水平有限,不过,我以诉说“木屐的现状”为题,将自己拙劣的文章投了稿。



我在文章中指出很多日本人不穿木屐、不敢穿木屐这一不幸的事实,并做了相应的解释。有些日本人未能察觉出自己已被一些权力者“以穿木屐为耻、蔑视日本文化”的思维所影响,而且并不以此为耻。日文的传统文化为何会变得如此落寞呢?



个人穿不穿木屐无可厚非,可是,将穿木屐视为“违反校规”、对日本文化进行排斥的教育政策,我不敢苟同。对此提出异议、并坚持己见的勇气我还是有的。我们因为所获的信息有限而经常无法正确判断,因而也无法做出相应的修正。作为个人,我会从自己感受到的事物出发,为日本应有的样貌、国家应有的品格做出力所能及的努力。喜出望外之余,我又重新审视了一下自我。



注:获奖文章的中日文对照的登载如下。

(翻译 康伟孟)

<応募作品>

“生活中的中国制品与中国制木屐”

  我以前看到过的中国制木屐,是在我访问世界遗产福建土楼的时候。在那里我看到有人卖木屐,人民币19元,很便宜。那些木屐有点像简单的草鞋,而不是真正日本的木屐。之前我在上海也看过另外的中国制的木屐,它有日本的平假名,那些字有相反拐弯的。我知道有人喜欢像日本的花样,我喜欢中国花纹,所以中国人感兴趣日本花纹的事情我感到很开心。我在日本当然经常穿日本的木屐,我有5、6双木屐,交替着穿去参加各种活动。我生活的环境湿度大,所以在日本木屐有很长的发展时代。从我少年时代到现在经常穿木屐,喜欢穿木屐。还有,我希望保护的一个传统文化,是日本的木屐。在中国我也穿一对日本的木屐,在中国的旅行中,比如在火车站,有空的时候周围的中国人问我关于我的木屐。然后我们成为短时间的朋友。他们问那双木屐有没有在中国卖?多少钱?冬天的时候是不是很冷?我亲切地回答着,日本人和中国人友好地交流着,所以我把木屐称为很好的“民间大使”。
  然而有一个中国人告诉我,上海有2000万人,那些人当中就有讨厌日本人的。他们对日本人为什么那么恶意呢?谁都不知道。所以你在上海工作期间不应该穿日本的木屐。中国人觉得穿木屐的人是日本人,有人干坏事,很危险,这是他忠告我应该穿鞋子的理由。我很遗憾,很悲哀。日本人过去是很坏,到现在很多日本领导没认真道歉过。他们把过去侵略亚洲正当化。所以日本人应该努力让自己不像日本人?这样想法当然是错的。据说木屐在日本这半世纪被当作不好的穿作,学校不允许穿木屐,成为违反校规。学生们不会穿木屐,飞机和酒店等讨厌日本文化,木屐禁止进入。很多日本人没穿木屐的现代,自然而然木屐店铺少了,木屐越来越很贵。现在我有远大的理想。虽是一点点小事,可是我认真。我不希望现代以后木屐店铺一个都没有,喜欢木屐店铺能维持,然后繁荣,为此我想买木屐。另外希望每个一个人能买一双木屐。

我说“日本的木屐”,可那是不正确。现在在日本卖的日本木屐很多是中国做的,是中国制。我喜欢有更多的中国制日本木屐在日本卖,中国制日本的木屐比日本制的便宜。我期待木屐越便宜越好,越来越多人买木屐。在中国做的日本木屐加,在日本制的木屐也加。现在在日本木屐底部边上有橡皮,所以没有声音,不滑。在中国做日本的木屐是模仿日本做的木屐,涉及著作权问题。可是我觉得中国制和日本制的木屐两个都发展。我知道另外的中国制的东西,比如鞋子等很多,可是木屐和其他的产品稍微有些不同。中国制的东西席卷日本,引起很多人忧虑。我考虑中国制的东西会越来越多,日本人要更努力改良各种质量。木屐的情况是个开端,我没担心中国制的加,便宜的东西上市,好的东西充斥。与木屐有浓厚关系的中国制的日本木屐,惊醒了日本人珍惜日本文化和重视其价值。我期待未来的日本人和以前的日本人一样爱日本的文化,日本的木屐,穿木屐。我信我们的生活越来越好。


生活の中の中国製品と中国製下駄


以前中国製下駄を見かけたのは、世界遺産福建土楼を見に行ったときだ。
そこで下駄を売っている人がいた。一足19元、かなり安かった。
でもそれはただの草鞋で、日本の下駄とはいえない。その前上海で中国製下駄を
見たこともあった。その下駄に平仮名があったが、鏡文字もあった。
和風模様が好きな人がいることが分る。私は中国風模様が好きだから、
中国人が和風模様に興味を持っていることはとても嬉しい。

当たり前だが日本ではいつも日本製の下駄を履いている。
私は下駄を五、六足持っていて、それらを履き替えて色々な活動に参加する。
私が生活している環境は湿度が高い。だから下駄は日本で長く発展してきた。
少年時代から現在まで、大抵下駄を履いてきたのだが、下駄が好きだ。
そして、私が守りたい伝統文化の一つは、日本の下駄だ。
中国に来てからも日本の下駄を履いている。旅行の時、例えば駅で暇な時があると、
よく周りの中国人に下駄のことについて聞かれる。そして短時間だけど友だちになる。
中国で売られることがあるのかとか、幾らかとか、冬の日に履くのは寒くないのとか、
彼らの質問に一つ一つ答える。下駄をめぐって日本人と中国人が友好的な交流を
しているのだ。それで私は下駄を「民間大使」と呼ぶ。

ところが、ある中国人に言われた。「上海の人口は2000万、その中に日本人嫌いな
人もいる。誰が、そしてどうしてそうまで日本人嫌いなのか、私にはわからないが、
上海で仕事をしている間日本の下駄を履かない方がいい。下駄を履いているのは
日本人だと中国人は分る。何か酷いことをされたら危ない」と。
それが靴を履くべきだと忠告した理由だった。とても残念で、悲しい。
昔の日本人は確かに悪かった。アジアを侵略したことを正当化して、
今だに謝っていない日本の指導者もいる。
だから、日本人は日本人らしくなく振る舞わなければならないのか。
そういう考えは間違っていると思う。

日本ではここ半世紀、下駄を履くのは悪いとされ、学校では校則違反として
禁じられてきた。学生は下駄を履けない。空港やホテルなども日本文化を嫌って
下駄を禁止していた。多くの日本人が下駄を履かなくなった現在、
下駄の店はだんだん少なくなり、自ら下駄の値段は高くなった。
今の私には一つの夢がある。ささやかなことだけど、私は本気だ。
この先、下駄の店が無くなるのはいやだ。下駄の店がちゃんと維持され、
繁盛していって欲しい。そのためにも下駄を買いたいと思う。
そして他の人々にも下駄を買ってもらいたい。

「日本の下駄」という言い方をしているが、それは正しくない。
今日本で売られている日本下駄の多くは中国で作られている中国製下駄だ。
中国製下駄は日本製下駄より安いし、もっと売れたらいい。安ければ安いほど、
買う人は増える。中国製下駄が増えると同時に、日本製下駄も増える。
日本製下駄は底にゴムを貼っていて、静かで滑らない。
中国製下駄は日本製下駄を模倣して作られたもので、著作権に問題はあるが、
私は中国製にしろ日本製にしろ、ともに発展することを願っている。
例えば靴など、ほかにも中国製品はたくさんあるが、下駄はほかの製品とは
ちょっと違う。日本で中国製品が席巻していることを心配する人が多くいる。
中国製品が多くなれば日本人は品質向上にもっと力を入れる、と私は思う。
下駄の状況はその端緒だ。私は中国製品が増えていることをあまり心配していない。
安いものが出回ることで、良いものが増えてゆく。下駄のおかげだが、
中国製の日本下駄が、日本人に日本文化を大事にし、その価値を重視すべきだと
気付かせる。今後日本人が昔のように、日本の下駄、日本の文化を愛し、
下駄を履くことを期待している。
そうして、私たちの生活はより良くなるものと信じている。



<中国語歴紹介>

子どもの頃、タクラマカン砂漠を緑にする夢を描いていた。学生時代に北京放送の中国語講座を聞いた。生憎の不幸な時代、貿易会社から拒否され高校教員になった。中国を片方で意識もしていた教員生活を終え、若い頃の「夢」に近づきたく中国での職を求めた。日本語教師だ。中国語会話の習得も想定していたが、2年はおろか5年経ても実らない。諦める外ないが、それでも中国語日誌をつける等学習継続の意欲だけは捨てないでいる

孩提时代,我憧憬过有让塔克拉玛干沙漠变绿洲.学生时代收听北京广播电台的“中文讲座”.生不逢时,我被贸易公司拒绝所以成为了一名中学教师。在一边注意着中国一边正经地工作的教师生活结束后,我为了追求年轻时的“梦想”来到了中国求职,成为了一名日语老师。虽然我希望能掌中文会话,但是别说2年5年也不可能实现。虽说我应该放弃,即使如此我还是没有放弃坚持写中文日志等等继续学习的念头。


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