日本と中国の友好を願って活動する日本中国友好協会玄界灘(宗像・北粕屋)支部

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川辺さんからの投稿です 

福岡日中文化センター創立30周年の集い(11/20)12:30~ 早良市民センター」
で中国語劇が発表されます。演題は『愚公 山を移す』です。
この故事来歴は電子辞書及びインターネット検索によると次の通りでした。

出典は「列子」の湯門編: 太行山と王屋山という二つの山に面した所に住んでいた
愚公という老人は90才近くでしたが或る日 決心して家族に相談しました。
「山が邪魔で街に出ようとしても遠回りをせにゃならん。
山を崩して平らにしようと思うのだがどうだろう?」

妻以外は全員賛成したので愚公は息子や孫を引き連れて山の切り崩しだしを
始めました。又土と砕石を渤海の隅にもっこで運び出しました。
 黄河の近くに住んでいたチソウという老人がこの様子を見て笑い忠告しました。
「あんたの馬鹿さ加減と来たら話にならんよ。力が弱くてしかも老い先短いのに
山の一角でさえ崩せないさ。」愚公は答えました。
「あんたの頭の固さと来たら手のつけようが無いな。わしが死んでも子供は
生き残り孫を生みその孫は又子供を生み子々孫々途絶える事は無いんだ。
一方山は増えるわけじゃ無い。だとすれば何時かは平らに成る時が来るだろうよ。」
 賢者と云われたチソウ老人も返す言葉が有りませんでした。この様子を見て
恐れ戦いた二つの山の神は天帝に報告。
天帝は愚公の真心に痛く感心し二つの山を別の場所に移してやったそうです。

 たゆまなく努力を続ければ何時かは大きな事業でも成し遂げ得るという寓話でした。
 この故事は1945年の6月に毛沢東の演説に引用され中国では大変有名になったそうです。
引用では二つの山を日本と中国国民党政権に 愚公を中国共産党に例えて
「どんなに敵が強力に見えても我々が山を切り崩す様に努力を続ければ
天帝即ち中国人民は我々を支持してくれるのだ。」と訴えました。
類義語に「雨垂れ石をも穿つ」がありますがこれも中国の故事来歴(「漢書」の枚乗伝)です。

 尚卑近な例が福津市にもあります。
 私は津屋崎の環境部会に属していますがボランティア活動の一環として
津屋崎海水浴場の松林を昔のように美しい姿に戻そうと30人ほどの仲間
(4年前のスタート時はほんの数人でした。)と月一回のペースで整備保全活動を
行っています。しかし範囲が広い為遅々として中々進みません。
5年目にも成るのに未だ全体の1割も終わってないjのを見てある人が云いました。
「おい、この調子だと我々生きている間には終わらんぞ。」
 違うある人が冗談っぽく云いました。「子供 いや孫の代には終わるやろう。気にする事は無いよ。」


川辺 愛敏 
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