日本と中国の友好を願って活動する日本中国友好協会玄界灘(宗像・北粕屋)支部

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行ってきましたコーナー

炭都・筑豊の歴史は
朝鮮人同胞の血と涙の歴史でもある


金光烈氏(青丘歴史文化研究会名誉代表、福津市在住)
金先生は1928年生まれ。現在86歳です。1943年(昭和18年)、15歳で日本に渡りました。
苦労の末、大学を出て、教師として日本各地で朝鮮民族の民族教育に尽くされました。
そうした中で、戦時中強制連行された朝鮮人の実態を、特に福岡県筑豊地方において具に発掘、研究されました。
本紙でも紹介したように、11月8日、福岡市のココロンセンターで「戦時、筑豊貝島炭坑で何があったか~朝鮮人同化政策の実態」という先生の講話がありました。以下、講話の一端です。

名前もなく「朝鮮のヤツ」とだけある某寺の過去帳、貝島炭坑(旧宮田町)ではひもじさのあまり「渋柿を取った」というだけでたたき殺された朝鮮人のこと(貝島の重役会議の記録簿)など驚くべき差別の実態が紹介された。私もかつて宇美町で「朝鮮人を殺した」話を聞いたことがある。

一方で貝島は内鮮一体の国の号令下、「朝鮮人の日本語普及に努力した」と会社の担当日本人を顕彰する碑を朝鮮人労働者の寄付で建立するという茶番もおこなった。これは会社の労働対策上「命令や指示」の必要があって日本語を学ばせたにすぎないのに、朝鮮人内通者を使ってこんな画策をしたのである。

元来朝鮮人の儒教思想は「孝(・)忠一致」(「孝」が先)で親元を離れるのをよしとせず、反する者は「不良」と見られる。彼らはほとんど「募集」「官斡旋」「徴用」で日本に連れて来られたのだが、実態は強制連行と同じである。その上、渡日も離日も渡航証明書が必要で、日本人が移動自由であったのと大いに違っていた。近代の筑豊における朝鮮人の足跡は古く、大韓帝国時代の1899年の過去帳に朝鮮人名があり、その根は深い。

“炭都・筑豊の歴史は朝鮮人の血と涙の歴史”でもある(い)


金光烈著「『内鮮融和』美談の真実」(緑陰書房) 2500円>
 
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