日本と中国の友好を願って活動する日本中国友好協会玄界灘(宗像・北粕屋)支部

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【瀋陽】「撫順戦犯管理所」は日中史では極めて重要な施設である。中国侵略時、中国で極めて重要な戦争犯罪行為をした日本人(おもに将校)を多数収容したところ。しかし、彼らの多くが心を入れ替え罪を認めて「鬼から人間に」変わったところでもある。死刑を免れないような重罪人も誰一人として処刑されることはなかった。帰国後、「中帰連」を結成し、日中友好運動に尽くした人も少なくなかった。現在では、建物も古く、維持にかかる費用の大変さがしのばれた。
「平頂山惨案館」は20年前とは様変わりして、立派になっていた。現場に立てば、言葉も出ない。1932年、平頂山事件。抗日ゲリラが撫順郊外の平頂山村を通過・逃走したというだけで、貧しくも静かに暮らしている村人約3000人を1か所に追い立てて、老人も女も子どもも全員、皆殺しにした日本軍。死人に口なしだが、自分が被害者だったら、その身内だったら、こんな蛮行、許せるワケがない。仮に今の中国人が日本人に“過去のことだよ”と言っても、被害民族の悲しい許し難い心の襞を読み取らないなら、ただのお人よし日本人だ。その言葉の奥に、「過去の歴史を教訓にして」「事実をしっかり学んで」との強い思いがあることを理解せねばなるまい。

瀋陽にある「瀋陽故宮博物院」は満州族王・ヌルハチが建てた王宮である。屋根瓦も緑を使い草原を疾駆した民族を連想させる。ここを拠点に中国漢民族地域に進出して、やがて「清王朝」をつくることになった。
張作霖・張学良父子が政務を取った「張氏帥府博物院」は20世紀の歴史を語るに外せない場所である。日本軍に爆殺された張作霖の最期の場所であり、その後わずか3年余だが日本の満洲進出に必死に対抗した張学良の夢の跡である。

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